アメリカの歴史独立後

暗殺された第35代大統領「ジョン・F・ケネディ」必死に生きた強い男の生涯を解説

4-4ジャック上院議員に当選

1952年に33歳のジャックは、父から多額の選挙資金を貰い、マサチューセッツ州から民主党の支援を受け上院議員に出馬します。でも、共和党から立ったヘンリー・キャボット・ロッジ氏は強敵でした。はじめは負けていたものの、あらゆる階級やさまざまな職業人、党に拘らず呼びかけをし、奇跡な逆転勝利を遂げました。

一番の勝因は、ケネディ家総動員でテレビなどのメディアを上手く使ったこと。若く見栄えの良いジャックは、マサチューセッツ州の婦人が催すイベントに招待され、約5万もの女性と握手をしました。その女性たちは、ジャックの魅力を話し、票獲得に繋がりました。また、テレビ番組『ケネディ家の人々とお茶を』が放送され、ジャックは政治家でありながらアイドル的な存在だったのです。共和党の大物ロッジ相手に、7万票もの差をつけ勝利し、めでたく上院議員になります。この選挙の後でジャックの名参謀となるソレンセンと出会いました。

4-5幸せと地獄の後に訪れた栄光

Toni Frissell, John F. Kennedy and Jacqueline Bouvier on their wedding day, 1953.jpg
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35歳で上院議員になったジャックは、ワシントンに登場します。下院議員時代からの知り合いで、ワシントン・タイムズ・ヘラルド紙のカメラマンだった「ジャクリーン・リー・ブーヴィエ」と親しくなり、1953年9月12日に結婚します。上院議員全員が参加する、豪華な結婚式を行いました。

翌年は背骨の悪化による手術と、副腎の悪化も伴い生死を彷徨います。手術前にジャックはアメリカ史上の上院議員の勇気について興味を持ち、ソレンセンに「アダムズの勇気」を基に勇気ある上院議員の資料を集めさせました。退院後に静養のため訪れたフロリダ州バームビーチの別荘で、ソレンセンが選んだ勇気ある上院議員の中から8人を選び『勇気ある人々』を執筆しました。この本は、ベストセラーになり1年後にアメリカ最高の賞ピュリッツア伝記賞を受賞し、22ヶ国語に翻訳。世界中に配信され、ジャックは世界の表舞台に上がります

5.ジョン・F・ケネディ大統領誕生

John F. Kennedy nominates Adlai Stevenson 1956.JPG
UPI-United Press International – eBay photo, パブリック・ドメイン, リンクによる

全快し議会に戻ったジャックは、政治を更に勉強し大統領に推薦されました。対立候補は共和党のリチャード・ニクソンです。ほんの僅かな差での勝利ですが、彼は歴史上最も若いアメリカ大統領となります。

5-1大統領選挙に出馬を決めるジャック

43歳で大統領を目指す人は、副大統領を経た人以外はいませんでした。メディアたちも、無理だと踏んでいたのです。ピュリッツア伝記賞の受賞を機に世界デビューしたジャックらしく、世界の自由の守り手アメリカを軸にした「世界のアメリカ」をキャッチフレーズに戦います。アメリカは世界の中での位置を、根本から見つめ直す時期に来ていました。

ジャックは政治的には大物ではなく若輩者。カトリック教徒だったことで、厳しい状況にありました。弱気になったジャックを、参謀のソレンセンが欠点を長所にすれば勝てる」と後押ししてくれました。若さを利用しセスナで米国中を演説して回った選挙活動は、伝説になりました。

5-2「外見戦略」で勝てた?大統領選

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By United Press International – eBay photo front back, Public Domain, Link

元大統領のトルーマンはテレビ演説で、ジャックが若いことを中傷し、時期早々と酷評しました。逆にテレビ演説で、ワシントンやジェファーソン、コロンブスなど、昔の偉人が43歳以下でことを成した話をして、若さを武器に変えてメディアや民衆を引き寄せたのです。そして、「ニューフロンティア政策」を掲げました。

テレビ討論会が行われ、若くイケメンのケネディは、歯切れのよい演説で人々の心を惹きつけました。ラジオを聞いた人はニクソンが勝利するとみて、8千万人のテレビ視聴者はケネディが優位とみたのです。

濃紺の背広と赤と青の縞のネクタイにライトブルーのシャツを着たジャックは、米国民に良い印象を与え「外見戦略」での勝利を収めました。1960年11月8日にたった12万票の差で、新しい大統領にジャックが選ばれたのでした。ケネディ一家が大喜びしたのは、間違いありませんが。

5-3ケネディ大統領の就任演説

アメリカでは、大統領の就任演説は大切なセレモニーです。翌年1月20日は、24cmもの雪が積もるも晴れ渡り空気が澄んだ清々しい日でした。歴代で最も若い大統領の美声が、ワシントンに響き渡りました。僅か14分と短い就任演説でしたが、全世界に伝えられ反響を呼んでいます。

ホワイトハウスはお祝いの人で溢れました。でも、お祝いムードはほんの僅か。在任中は、国内の景気は後退状態で、失業者も増加していました。国際問題も深刻で、冷戦の激化、ビックス湾事件、キューバ危機、米ソ宇宙開発競争、現在社会にも影響を及ぼすベトナム戦争や黒人問題など、心の休まる日はなかったようです。メディアには、マフィアとの癒着やマリリン・モンローとの不倫も問いただされています。

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