アメリカの歴史独立後

暗殺された第35代大統領「ジョン・F・ケネディ」必死に生きた強い男の生涯を解説

6.起ってしまったケネディ大統領の暗殺

ケネディ大統領は、来年の大統領選に備え演説して国内を回っていました。人気者の大統領は、何処へ行っても歓迎ムードだったのです。ただ、テキサス州ダラス市を除いては…。テキサス州民主党全国委員のバイロン・スケルトン氏から、ダラスには大統領批判があり危険なので中止してほしいとのメモを貰っていたのに…。

6-1「ダラスの悲劇」は民衆の前で起こった

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1963年11月21日に、ケネディ夫妻は大統領専用機でテキサス州へ旅立ちました。サン・アントニオでは12万5千人から大歓迎を受け、宇宙開発基地で演説しました。ヒューストンでは17万5千人の市民が温かい声援を送りました。

翌22日金曜日にダラスへ向かいます。新聞には、死を予言させる広告が載り、ジャクリーンは直前まで行くのを拒んだようです。オープンカーで市民の前をパレードしていた時、「パーン」と乾いた銃声が鳴り響き、ケネディ大統領の頭を球が突き抜けました。46歳でケネディ大統領は、短い人生を閉じます。アーリントンの墓地に埋葬され、永遠に消えることのない「理想の炎」が灯されました。

オズワルドの単独犯行とされ、彼は事件の2日後に暗殺されました。暗殺の真実は、米政府によって闇に葬られます。

6-2長期政策の「ニューフロンティア政策」

ケネディ大統領が打ち出した「ニューフロンティア政策」は、8年後の次世代を見据えたものでした。偉大な大統領は、自分の考えを新聞やテレビを使い大々的に訴え、進歩主義と人間改革に重点を置き強い指導力を発揮しました

政策が成功した証拠にケネディ大統領が暗殺される直前のアメリカは、景気が回復し失業者数が減少した事実からも読み取れます。社会保障や教育、宇宙開発やインフレ克服など、次のジョンソン大統領が掲げた「偉大なる社会」へスムーズに引き継がれ着実に前進しました。

トランプ大統領は、ケネディ大統領暗殺の秘密が書かれた機密文書を公開できるのか?

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2021年10月にケネディ大統領暗殺に関する非公開文書を、全面公開すると、現アメリカ大統領のトランプ氏が発表しています。現在国立公文書館に保管されていますが、半世紀以上CIAやFBIが必死に隠す機密文章の公開で、ケネディ暗殺の真相が明らかになるかもしれません。

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