世界中を核戦争の危機に陥れた「キューバ危機」背景・経過・その後をわかりやすく解説
キューバ危機の背景
キューバ危機とは、1962年にソビエト連邦がキューバにミサイルを配備しようとしたことから起きた軍事衝突の危機でした。アメリカ・ソ連とも核保有国だったため、世界は核戦争の恐怖におびえます。そもそも、なぜキューバにソ連のミサイルが配備されるようになったのでしょう。その原因はキューバがアメリカの影響下から脱したキューバ革命にありました。
アメリカによるキューバの保護国化
キューバは大航海時代にヨーロッパからやってきたスペイン人たちによって植民地にされました。中南米のスペイン植民地はナポレオン戦争のころに大半が独立しますが、キューバは19世紀後半までスペイン植民地のまま経過します。
スペインはキューバを砂糖やタバコの生産地として支配し、多くの黒人奴隷を使ったプランテーションを展開しました。1895年、キューバはスペインからの独立運動を起こします。
独立戦争中の1898年、キューバのハバナ港に停泊中のアメリカ軍艦が爆破される事件をきっかけに米西戦争が勃発。アメリカもスペインと交戦します。その結果、アメリカ軍はスペイン軍を追い払いキューバは独立を認められました。しかし、アメリカはキューバをすぐに保護国化します。そのため、キューバはアメリカの植民地のような状態になりました。
こちらの記事もおすすめ
今さら聞けない「大航海時代」ってどういう時代?わかりやすく解説 – Rinto~凛と~
カストロやゲバラらが起こしたキューバ革命
1933年、キューバの将軍バティスタはアメリカの支援でクーデタを起こし独裁政治を行います。バティスタはアメリカ資本と結びついて利益を独占。多くの国民は貧困にあえいでいました。
1954年、反バティスタ勢力を率いるカストロは同志のチェ=ゲバラらとともにバティスタ政権打倒を目指します。カストロとゲバラはゲリラを組織し、バティスタ政権軍と戦いました。
1959年1月1日、カストロらは首都ハバナを占拠。バティスタ政権を倒し革命政権を樹立します。これを、キューバ革命といいました。政権を握ったカストロはアメリカ人地主が持っていたキューバ国内のサトウキビ農園を小作人たちに分配します。さらに、アメリカ企業を接収して国有化したことからアメリカと激しく対立しました。
カストロ政権転覆をはかったビックス湾事件
カストロ政権成立後、アメリカとキューバの関係は悪化の一途をたどりました。アイゼンハウワー政権のアメリカでは中央情報局(CIA)によるカストロ政権転覆計画が進められます。アメリカは亡命キューバ人1,500人を組織化し、キューバ侵攻の機会を狙いました。
1960年の大統領選挙で当選したケネディはCIAからキューバ侵攻計画を聞かされます。CIAは1,500人の亡命キューバ人部隊が上陸することができれば、キューバ国内の反カストロ派と連携してカストロ政権を打倒できるとケネディに説明しました。
ケネディは計画に慎重でしたが、アメリカ軍が直接介入しないということを条件に作戦を承認。1961年4月、亡命キューバ人部隊はビックス湾に上陸しました。しかし、不十分な支援しか得られなかった亡命キューバ人部隊はキューバ政府軍に敗北し、アメリカの侵攻は失敗に終わります。
ソ連がキューバにミサイル基地を建設することでキューバ危機が発生した
アメリカによるキューバ侵攻はアメリカとキューバの関係をさらに悪化させました。キューバはアメリカと対立していたもう一つの超大国であるソ連に急接近します。ソ連のフルシチョフはアメリカに対し優位に立てるチャンスだと考え、積極的にキューバを支援しました。ソ連のフルシチョフがキューバにミサイル基地を作ろうとしたことで米ソの対立は頂点に達します。
キューバのソ連接近とソ連によるミサイルの配備
アメリカの軍事介入に反発したカストロは反米姿勢を鮮明にし、社会主義宣言をします。当時、世界は冷戦時代の真っただ中でアメリカとソ連が自国の影響力拡大にしのぎを削っていました。ソ連率いる社会主義陣営(東側)にキューバが加盟することで、ラテンアメリカで最初の社会主義国家が成立します。
自国のすぐ近くに社会主義国が出現したことはアメリカにとって大きな脅威となりました。ソ連はキューバを経済的に支援し、ラテンアメリカでの勢力拡大を図ります。
1962年10月14日、アメリカの偵察機はキューバで建設中のミサイル基地を発見。もし、キューバにミサイル基地が完成すればアメリカ本土が核ミサイルの射程範囲に入ります。このことを知ったケネディ政権は直ちに対応を迫られました。
こちらの記事もおすすめ
世界の破滅のチキンレースであった冷戦をヤルタ会談からマルタ会談までわかりやすく解説 – Rinto~凛と~