2.ロンドン塔にまつわる王室の秘密7選
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ロンドン塔では、エリザベス1世やヘンリー8世の妃アン・ブーリンも断頭台の露と消えています。ロンドン塔へ行ったら、斬首された首が晒されたという「トレイターズ・ゲート(反逆者の門)」から巡ってみては?囚人たちがこの門を潜ると、二度と浮世に戻ることはなく処刑されていたようです。それでは、ロンドン塔の血塗られた「王室の秘密」を7つご紹介しましょう。
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2-1.骨肉の争いで幽閉された「ヘンリー6世」
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ノートルダム聖堂でフランス王として戴冠を受けるも、幼かった王はイギリスへ戻されました。百年戦争でランカスター王家敗北の余波により、王位を虎視眈々と狙うヨーク家に付け込まれまれます。ヨーク家のリチャード公が王位継承のために挙兵。赤バラ紋章のランカスター家と白バラ紋章のヨーク家が、血で血を洗う内戦状態になります。結果ヨーク家のエドワード4世が、イングランド王となるのです。
ヘンリー6世は廃位しロンドン塔に幽閉され、1471年5月21日に49歳で亡くなりました。奇しくも、新王エドワード4世が市民の歓迎を受けながら盛大な行列を成してロンドン塔に入った日に、暗殺されたと伝わっています。死因については、うつ病で亡くなったとされていますが、エドワード4世による暗殺命令で、めった刺しにされ殺されたとの説が有力とか。彼の幽霊は、ウェイクフィールド・タワーに現れるようです。
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ヘンリー6世の遺骸は、セントポール大聖堂に安置されましたが、可愛そうなことにウェストミンスター寺院内の王廟に祀られることはありませんでした。
2-2.シェークスピアも書いた「エドワード5世とヨーク公リチャードの悲劇」
Józef Simmler – cyfrowe.mnw.art.pl, パブリック・ドメイン, リンクによる
エドワード4世が41歳で病死し、12歳と幼いエドワード5世が即位します。しかし、叔父のグロスター公リチャード(後のリチャード3世)が王位を狙い、エドワード5世をロンドン塔に幽閉するのです。その後で母エリザベス王妃とウェストミンスター寺院の修道院に逃げていた、10歳ヨーク公リチャードもさらいロンドン塔に幽閉します。
二人の母エリザベス王妃の前に先妻がおり、新王エドワードとその弟は庶子となるので、王位を継承する権利がないと主張し陥れるのです。議会に訴え王位継承権は先王の弟であるリチャード3世しかいないと認めさせ、1483年6月26日にエドワード5世を廃位に追い込み自身の即位を議決させました。
「エドワード5世とヨーク公リチャードの悲劇」は、英国を代表する作家シェークスピアの『リチャード3世』の題材となっています。彼は、リチャード3世のことを、「残忍極まりない野心家」と著しました。
Bernard Gagnon – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
幽閉生活は王子に相応しい待遇だったといわれています。でも、窓から見える王子たちを見て人々は「塔の中の王子たち」と呼びました。王子たちはいつの間にか姿を消してしまったのです。
1674年(殺害後191年目)のホワイト・タワーを修復の時に、木箱に入れられた二人の遺骨が南階段の下から見つかっています。1933年に遺骨を鑑定した結果、絞殺された二人の骨だと分かりました。でも、血も涙もない野心家「リチャード3世」が殺したという証拠はありません。
By DIrk Ingo Franke – Own work, CC BY-SA 3.0, Link
二人の幽霊は、ブラッディー・タワーやホワイト・タワーで見られています。幼い二人の王子が駆けずり回ったり、肩を寄せ合って泣いている姿が目撃されているようです。
二人の王子の悲劇は、ミレー作「エドワード王子とその弟」やドラローシュ作「塔内でのエドワード五世とヨーク公」が絵画として残されました。また、ドラローシュ作「塔内でのエドワード五世とヨーク公」の絵を参考にした、聖書的な描写で漱石の『倫敦塔』の掉尾の文に幼い二人の王子の様子が書かれています。
2-3.夫に殺された哀れな妃「アン・ブーリン」
By Henry VIII is by Hans Holbein the Younger; Anne Boleyn by unknown artist. Uploaded by qp10qp. – The Yorck Project (2002) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202. And [1]. The image was made by joining together Image:Hans Holbein d. J. 049.jpg and Image:Anne boleyn.jpg., Public Domain, Link
ヘンリー8世は、継承者の男児が欲しいと6度に渡る結婚をしたことで知られています。前王妃のキャサリンが処刑された数週間後に、2番目の王妃アン・ブーリンのお腹にいた男児が流れました。それと共に、ヘンリー8世の態度は急に冷たくなります。アン王妃が、女官ジェーン・シーモアが自分の部屋で王に寄り添っている姿を目撃した時に、王に貰ったロケットをちぎり床にたたきつけたことで王の逆鱗に触れたのです。
王は、すぐさまアン王妃に「不倫」の濡れ衣を着せ、ロンドン塔へ幽閉しました。ヘンリー8世がアン王妃に冷たくなった理由は、容姿が貧弱で知己に富むも怒りっぽい性格だったことから、愛が覚めたためといわれています。1536年5月15日に尋問が行われ、19日にはタワー・グリーンで処刑されました。
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