Édouard Cibot – Musée Rolin, Autun, France, パブリック・ドメイン, リンクによる
アン王妃が国王に宛てた遺書には、「自分の無実と、王からの寵愛への感謝。娘エリザベス(後のエリザベス1世)を大切に育ててほしい」との内容が書かれており、決して恨み言はありませんでした。
王妃の処刑は斬首でした。でも、これまでの古い斧は使われず、フランスから取り寄せた真新しく切れ味の良い斧が使われたとか。さすがの、ヘンリー8世も罪の意識に駆られたのでしょう。アン王妃は市民から嫌われ悪評高い人物でしたが、最後はいかにもイギリス王妃に相応しかったと絶賛されたようです。でも、処刑の翌日から、幽霊が目撃されているとか。
今でも、頭のないアン王妃の霊が、タワー・グリーン内の回廊を徘徊する姿が目撃されています。幽霊としての出現率は、彼女がNo1だとか。礼拝堂の通路で、行列を率いる姿を見た人もいるようです。
2-4.知性のなさが不運を招いた?「キャサリン・ハワード」
ハンス・ホルバイン – 2. Toledo Museum of Art, Toledo, Ohio 1. Web Gallery of Art: 画像 Info about artwork, パブリック・ドメイン, リンクによる
先ほどのアン王妃の女官ジェーンが、次の王妃の座に就きました。彼女は男児を産むも産後の肥立ちが悪く亡くなりますが、ヘンリー8世は待望の男児の誕生に大喜びしました。でも、ジェーンの死が心の傷となり、当分は再婚をしなかったようです。
その後2度結婚するも上手くいかず、5番目の王妃はアン王妃の従姉妹に当る、18歳のキャサリン・ハワードでした。王とキャサリンとの年齢差は31歳だったようです。彼女は美しく、王は「宝石」のように大切にしました。
自由奔放なキャサリンは、浮世話で世間を賑わせた経歴の持ち主でした。性格はアン王妃と似ているものの、キャサリンには教養がありません。キャサリンも太っちょの王への愛情が冷め、夫婦仲は冷え切ったようです。
Bryan MacKinnon – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
そんな時、キャサリンの浮気心に火が付き、幾人もの若い男性たちを忍び込ませてしまいます。ついに、姦通の罪でキャサリンは逮捕。ロンドン塔に幽閉し、1542年2月12日の早朝に、アン王妃と同じくタワー・グリーンで処刑されました。彼女の最期は疲弊していましたが、王妃としての威厳は保っていたようです。
王妃となった後の浮気相手だった、弁護士ディアラムと従兄弟のトマス・カルペパーも、ロンドン塔に入れられた後に、斧で処刑されています。彼女の霊は王と二人で過ごした、ハンプトン・コート宮殿にでるとか。王が祈りを捧げるロイヤルチャペルのドアまで行き命乞いをしようと駆け寄るも警備に捕まり、回廊を泣き叫び引きずられていく彼女の霊がいたとか。
Lucas Horenbout (1490/95?-1544) – http://englishhistory.net/tudor/monarchs/parr.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
ヘンリー8世の次の妃は、2度の結婚歴のある31歳の未亡人「キャサリン・パー」です。今までの王妃以上に頭脳明晰で愛情深く賢い女性といわれています。王は、求婚の時に「若い妃はもうこりごりだ。」と言ったとか…。キャサリン・パーの人生は、非常に魅力的です。機会があったら、調べてみてはいかがでしょう。
2-5.『ユートピア』の作者「トマス・モア」も処刑された
Cavendish Morton – Cavendish, Morton (1909年) The Art of Theatrical Make-up, ロンドン: Adam and Charles Black, パブリック・ドメイン, リンクによる
イギリス人文主義者の「トマス・モア」。1516年に代表作の『ユートピア』を発表しています。理想郷を表す『ユートピア』という国を仮装し、イギリスの社会情勢を批判してしまいました。
外交交渉の一員としてオランダに行き、アントウェルペン滞在中に『ユートピア』を書きはじめました。帰国後に、ヘンリー8世のもとで、裁判官として仕えます。その後最高位の大法官を命ぜられるまで出世しました。そんな時に、ヘンリー8世を批判し大逆罪で捕まります。
その1年後にウェストミンスター宮殿で裁判が行われ、ロンドン塔の露と消えることになったのです。裁判後「トレイターズ・ゲート」から、ロンドン塔に戻り1535年7月6日に処刑されました。でも、最後の断頭台に上っても、ユーモアは忘れなかったようです。
English School – Historical Portraits., パブリック・ドメイン, リンクによる
彼の最後は、シェークスピアが『サー・トマス・モア』という五幕物の作品の中で書いています。第5幕4場の処刑場でのユーモアにあふれたシーンを読めば、トマス・モアという人の人物像が何となく連想できるかも。
「トマス・モア」と「フィッシャー司教」は、宗教改革に反発し、カトリックが唯一の正当なキリスト教であるとの考えを貫きました。カトリック教会信仰のための殉職とローマ教皇に認められ、1935年に聖人に列せられています。
2-6.たった9日で廃位した女王「ジェーン・グレイ」
「ジェーン・グレイ」の死も、先にお話しした「エドワード5世とヨーク公リチャード」と同じく、イギリス人たちの涙を誘う王室の秘密。彼女は、イギリスで最も学識があり、才色兼備な女性として人々の憧れの存在だったようです。
エドワード6世が逝去した、2日後に17歳のジェーン・グレイは王位に就くためにロンドン塔に入りました。華麗な姿で登場したジェーンに誰もがウットリしたとか。ジェーンは、王だけが持つことを許される「塔の鍵」を手にし、イギリス初の王女となりました。でも、彼女は二度と塔の外に出ることはできなかったのです。