By Paul Delaroche, Public Domain, Link
その理由は、メアリー王女と彼女を支持する貴族たちが蜂起したから。これは、野望化した貴族や周辺の争いで、ジェーンとメアリーには野心はなかったようです。それどころかジェーンは、ヘンリー8世の正室キャサリン・オブ・アラゴンの第一子で正当な継承者とメアリーを認めていました。メアリー自身も教養が高く機転が利く誰からも好かれる人物で、王妃としてふさわしい女性だったから。「正当な後継者はメアリーです。喜んで王位を離れます。」と主張したようです。
でも、そんなことは通用しません。ジェーン派のノーサンバランド公をはじめ、ジェーンの夫ギルフォード卿とその兄弟らジェーンとその親族たちは、反逆者として逮捕されビーチャム・タワーに幽閉されたのです。1554年2月15日にジェーンの処刑が決まり、同日に17歳の夫ギルフォード卿がタワー・グリーンの広場で処刑されました。
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アン・ブーリンやキャサリンが処刑された後、白装束のジェーンが処刑場に連れられました。彼女は、「安らかな気持ちです。どうかこのまま死なせてください。」といい、その後処刑人の手にかかり命を落としています。命日には、白装束を着たジェーンが塔のどこかに現れるとか。
ジェーン・グレイの悲劇は、エインズワースの歴史小説『ロンドン塔』の中に描かれています。また、ドラローシュ作「レディ・ジェーングレーの処刑」という絵画には、処刑寸前の姿がリアルに描かれているのです。また、彼女が処刑された場所には、ガラス製のメモリアルが備わっています。
ジェーンの後に王女となったメアリー1世は、300人もの聖職者を処刑しました。彼女は人々に怖がられ、「ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」と渾名をつけられています。
2-7.才能豊かなイケメン「エセックス伯ロバート」
after Marcus Gheeraerts the Younger – http://www.tudorplace.com.ar/Bios/RobertDevereux(2EEssex).htm; http://www.tudorplace.com.ar/images/Devereux,Robert(2EEssex)02.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる
20歳の才能豊かなイケメン「エセックス伯ロバート」が、53歳のエリザベス1世の寵愛を受けました。二人は狩りに出かけたり、朝までカード遊びにふけったり、恋人同士のような時を過ごしていたようです。1588年にイギリスがスペインの無敵艦隊を破り、エリザベス1世にとって最高の時でした。その8年後に新しい総司令長官となっていたエセックス伯は、スペインカディスに上陸し、占拠することに成功したのです。
母国に帰還したエセックスは、国民の英雄となっていました。その後1594年に、アイルランドで起こった反乱の鎮圧を命ぜられたのです。これは、エセックスの政治生命を揺るがします。エリザベス1世に「指示があるまで帰国は許さない。」といわれたのに、戻ってきたことに激怒し33歳のエセックスをロンドン塔へ幽閉しました。
かつてはジョージ・ゴアの作とされていた。 – http://www.luminarium.org/renlit/elizarmada.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる
その裏には、エリザベス1世を失脚させ、スコットランド王ジェームズ6世を王に据えるという野心があったからでした。エリザベス1世の特別な配慮により、1601年2月25日にタワー・ヒルでひっそりと処刑されました。それは、彼が国民に人気が高く、公開処刑をすれば、暴動が起ると懸念されたためです。
最後まで、イケメンだったエセックス伯は、貴族の正装だった黒いビロードのマントとフェルトの帽子、サテンの上着の下には赤いチョッキを着て、処刑台へと上がりました。彼の首は固く、3回も斧が降ろされたとか。
ロンドン塔基本情報
・住 所:Tower of London, London EC3N 4AB
・電話番号:(020)31666000
・アクセス:地下鉄タワー・ヒル駅から徒歩で約5分
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中世の姿を今にとどめるロンドン塔。約1000年と長い歴史を誇り、イギリスの歴史そのものを反映するような城です。でも、この城砦ではさまざまな悲劇が起こりました。現在も、ロンドン屈指のミステリースポットとしても有名です。宝物殿には、3106カラットもある世界最大級のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」を展示しているので、機会があったらぜひ。