平安時代日本の歴史

稀代の天才僧侶空海が開いた「真言宗」を元予備校講師がわかりやすく解説

新義真言宗と根来寺

11世紀後半から12世紀にかけて、日本仏教界では法然らが唱えた念仏・浄土思想が流行します。密教に念仏・浄土思想をもりこみ、真言宗を中興したのが覚鑁(かくばん)でした。

しかし、角盤の教えを快く思わない僧侶たちは覚鑁を襲撃。覚鑁や彼に従う僧侶たちを高野山から追放してしまいました。

高野山を追われた覚鑁は紀伊国(和歌山県)に根来寺を建て、新義真言宗を開きます。根来寺は室町時代に勢力を拡大。鉄砲隊を擁する根来寺の僧兵は戦国時代でも屈指の強さを誇り、信長や秀吉などとたびたび戦いました。

1585年、秀吉軍は根来寺の僧兵を打ち破り、根来寺を焼打ちにします。焼打ちされた根来寺は江戸時代に再興。現在に至ります。

なお、新義真言宗は江戸時代には公認され、覚鑁は東山天皇から「興教大師」の称号が下賜されました。

四国遍路と最御崎寺、金剛福寺

真言宗の開祖である空海と深いかかわりを持つ土地が四国です。空海が誕生した讃岐国は香川県で、入唐前に空海が修業に励んだ洞窟は土佐国(高知県)の室戸岬の近くの洞窟でした。

室町時代以降、四国の真言宗寺院は「四国八十八箇所」霊場としてまとめられます。この四国八十八箇寺をめぐる巡礼を遍路といいました。

八十八箇所の中で特に印象的な寺として、今回は二つを取り上げます。

一つ目は高知県室戸岬にある最御崎寺。室戸岬のすぐ近くにある最御崎寺は四国霊場二十四番札所です。国内でも珍しい大理石でつくられた如意輪観音が有名な寺ですよ。

もう一つは高知県足摺岬の近辺にある金剛福寺。こちらは海のすぐ近くにある寺院です。四国霊場の中でも他の寺院と大きく隔たった場所にあり、修業の場にふさわしい佇まい。戦国時代の一条氏や江戸時代の山内氏が寺を支えたため、繁栄しました。

天才空海を敬う大師信仰

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真言宗は空海が中国から持ち帰った当時最先端の仏教でした。空海自身は師である恵果が察したように空前絶後の天才だったため、密教を体得できたのでしょう。そのためか、真言宗そのものの信仰だけではなく、空海自身を敬う大師信仰が発生しました。空海がもたらした真言宗の教えはその後の日本仏教に多大な影響を与えます。空海死後の真言宗の広がりは、密教がいかに人々の心をとらえたかを如実に表しているのではないでしょうか。

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