室町時代戦国時代日本の歴史

お市の方最愛の夫にして浅井三姉妹の父「浅井長政」が生きた太く短い生涯とは?

小谷城落城と共に命を散らす

天正元(1573)年、信長は再び浅井・朝倉攻めを開始します。

朝倉義景は信長に本拠地・一乗谷城(いちじょうだにじょう/福井県福井市)に攻め込まれて敗れ、朝倉氏は滅亡してしまいました。

そして、信長の軍勢は長政がこもる小谷城(おだにじょう/滋賀県長浜市)に迫り、城を包囲したのです。信長軍3万に対し、長政らはたったの5千。籠城戦となったものの、敗戦は覚悟の上のことでした。

小谷城の戦いは、まず、父・久政の籠もる一角が落とされ、久政は自害します。長政はその後もしばし持ちこたえ、その間に嫡男の万福丸(まんぷくまる)を逃がし、お市と三姉妹を織田方に引き渡しました。

しかし、もうすでに抵抗する兵力は残っていませんでした。やるべきことをすべて終えた長政は、もはやこれまでと自害します。29歳という若さでした。

残念ながら万福丸は捕らえられて殺されてしまい、浅井氏は滅亡を迎えました。しかし、茶々は天下人・豊臣秀吉の側室となり、豊臣秀頼を生んで権勢を誇り、江は徳川秀忠の正室となり徳川家光らを生むなど、長政の血を後世へ残していくこととなるのです。

短い生涯を「義」に燃やした長政

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長政が「義」を重んじたことで、信長暗殺は実行されず、朝倉との同盟が優先され、結果としてすべては長政にとって悪い方向へと向かっていくことになりました。しかし、長政の「義」を貫いた潔い生き方は、武将としての清々しささえ感じます。

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