室町時代戦国時代日本の歴史

お市の方最愛の夫にして浅井三姉妹の父「浅井長政」が生きた太く短い生涯とは?

長政の勝利が近江の勢力図を塗り替える

思わぬ敗戦を喫した六角氏では、大きな動揺が走り、観音寺騒動(かんのうんじそうどう)というお家騒動が発生しました。六角義賢の息子で当主となっていた六角義治(ろっかくよしはる)が、重臣中の重臣を殺害してしまったのです。これで家中は分裂し、六角氏に見切りをつけた者たちの中には、浅井氏にやって来る者までいました。

これにより、長政は人材を補充することができ、一方の六角氏は徐々に衰退の道を歩むことになるのです。長政の勝利は、近江の勢力図をアップデートするものだったわけですね。

 

織田信長との同盟、お市との結婚

image by PIXTA / 2103092

六角義賢を破り勢いづいた長政の前に、織田信長が現れます。天下統一の野望を抱く信長は、長政に同盟を持ちかけてきました。そして長政はそれに応じ、信長の妹・お市と政略結婚することにしたのです。長政が最も心の平穏を得られた時期についてご紹介します。

織田信長との同盟

長政が六角義賢を下して存在感を発揮していた頃、織田信長もまたそれ以上の勢いで版図を広げているところでした。美濃(みの/岐阜県)の斎藤氏を次なるターゲットに定めた信長は、近江の浅井氏と挟撃する形で対策を取ろうとしていたのです。

そして信長は長政に対して同盟を持ちかけてきました。ここで仲介となったのは六角義賢でしたが、長政は信長の提案を受け入れ、信長の妹・お市を娶ることで同盟を締結したのです。

この同盟に際しては、遠藤直経(えんどうなおつね)など重臣の反対もありました。というのも、祖父・亮政以来同盟関係を保っている越前(えちぜん/福井県)の朝倉氏と信長の仲は険悪だったからです。このため、長政は「朝倉とは戦わない」という約束を信長にしてもらった上での同盟締結でした。

戦国一の美女・お市との結婚

お市は戦国一の美女と称されるほどの美貌の持ち主で、信長が溺愛する最愛の妹でした。長政もまた美丈夫だったと言われており、2人は似合いの一対だったようです。

政略結婚ではありましたが、夫婦仲はすこぶる良く、2人の間には三人の娘が次々と生まれました。茶々(ちゃちゃ)・初(はつ)・江(ごう)浅井三姉妹です。

お市と過ごす時間は長政にとって唯一とも言える安らぎの時間でしたが、残念ながら、その平穏はあっけなく破られることとなりました。それも、信長の突然の越前侵攻のためだったのです。

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