一般市民が兵隊に?「徴兵令」とはどういうもの?その歴史と意義を探ってみた
現実のものとならなかった【国民義勇兵役法】
戦局がいよいよ絶望的になると、もはや男女や年齢関係なく国民が戦争に動員されることになりました。その顕著な例が沖縄戦です。徴兵検査をする手間も時間もなく年齢だけを聞いて、病弱であろうが身障者であろうが問答無用で防衛隊に組み込んだのでした。
また14~16歳の生徒たちも【鉄血勤皇隊】や【学徒看護隊】に組み込んで動員しました。実際に戦闘に参加する者もいて、多くが戦火の中に斃れていったそうです。
そして沖縄戦後、男子は15~60歳までの者を召集できる「国民義勇兵役法」がついに成立しました。まさに国民皆兵を意味するもので、「一億総玉砕」のスローガンのもとに連合軍を迎え撃とうとしたのです。
しかし日本軍のほとんどが中国や東南アジアなどの外地にあって、肝心の日本を守るべき軍隊はわずかばかりでした。そうした中、本土決戦兵備として根こそぎ動員が行われ、訓練もままならない装備も貧弱な師団が数多く誕生しました。
しかしそれだけでは圧倒的な連合軍の攻勢を止めることはできません。そこで義勇兵役法に基づいて国民主体の義勇兵を大量に動員し決戦に備えるという作戦が現実のものになりつつあったのです。しかし義勇兵に配給するべき武器は何もないのが現状で、国民自身がそれを準備せよという乱暴なものでした。
圧倒的戦力を持つ連合軍に対して、竹槍や鎌、包丁や手製爆雷などを持って立ち向かっても、それはもはや戦争ではありません。ただの虐殺となることは目に見えていました。国家は国民を「人間の盾」にしようと本気で考えていたのですね。もし本土決戦が決行されていたなら民間人を含む死者は2千万人とも3千万人ともいわれています。
しかし本土決戦は現実のものとなることはありませんでした。ポツダム宣言を受諾して無条件降伏したことにより、日本は滅亡の寸前で救われたのです。
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今の日本で「徴兵令」が出される可能性は?
戦前の大日本帝国憲法は天皇主権ですから、「天皇と国家のために命を投げだす」ことは当たり前のことでした。だから「天皇の軍隊」と呼ばれていたのですね。しかし現在の日本国憲法は国民主権です。国民の世論が政治を決めるといってもいいでしょう。現状では「国民の命を盾にする」ような徴兵令が出される心配はないかも知れません。しかし過激なナショナリズムが台頭し、「国民が国家を守るのは当たり前」という風潮になってくれば大変危険ですね。「国家が国民の権利を守る」という当然のことをもっと周知すべきなのではないでしょうか。