謎が謎を呼ぶ、日本の歴史人物の死因3選
まずはおさらい。歴史人物の最期のパターンと代表的な人物について
まず、歴史人物の最期については大きく3つのパターンに分けることができます。早速、それぞれについて見ていきましょう。また、それぞれの代表的な人物についても紹介します。
1.病死
最初のパターンは「病死」です。これは現代にいきるわたしたちにも通じる話ですので、非常にわかりやすいところかとは思います。歴代天皇家、将軍家、有力大名などを見ても、何だかんだ言って「病死」が一番多いですね。
例えば、徳川家康。彼は今で言う「健康オタク」で、75年の生涯を全うしたわけですが(当時としては非常に長寿!)、死因も「鯛の天ぷら」があたったものと言われています(胃がんが悪化したという説もあり)。一方で家康は「水銀」を薬として評価し、独自の療法めいたことを行っていたとも…。その効果のほどはともかく、戦国の世を生き切り安定政権を樹立した工夫を垣間見ることができますね。
2.戦死
次は、戦死です。特に戦乱の時代は戦死をした人物が少なくありません。もっとも、天皇家などは稀少で、やはり武士が圧倒的多数を占めます。
もっとも、「有名な歴史人物の場合は、戦いでも奥の方で指揮を取っていただけだから、戦死は少ないんじゃない?」と思う方がいるかもしれません。確かに前線の兵士に比べれば、その率は低かったかもしれませんが、一軍が敗れれば大将(有名人物)といえども戦死は免れないケースが多かったようです。
例を挙げると、やはり真田幸村(信繁)が非常に有名でしょうか。大坂夏の陣で豊臣家に加勢し、壮烈な最期を遂げました。
3.自死・刑死
最後は、自死や刑死です。「切腹」などが代表的なものでしょうか。自死について日本の場合特徴的なのは、この行為にある種の精神性が伴うことです。屈辱にまみれるくらいなら、桜の花の潔く散る…そこに武士の美学を見て、多くの人々が切腹しました。そのような意味で、日本で初めて「切腹」をした人物は、源為朝※1と言われています。しかし自ら自分の腹を切るという行為…純粋に考えてみたらとてつもない行為ですよね。
また、刑死の代表的な人物としては幕末の志士・吉田松陰が挙げられます。松陰の場合は、当初は死罪になるはずがなかったにもかかわらず、自ら死罪に値する罪を幕府に告白し、結果的に処刑されました。しかしその覚悟たるや非常に堂々としたもので、執行人を感服させたと言われています。
※1 源為朝…平安時代末期の源氏の武将のひとり。弓の巧さ、剛勇さは群を抜いていたと言われるが、保元の乱で敗北し伊豆大島に配流後、自害しました。