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古代ギリシャ都市国家「スパルタ」の最強戦士育成方法とは?

最近ではあまり聞かなくなりましたが、厳しい教育や訓練のことを「スパルタ教育」と呼ぶことがあります。この「スパルタ」とは、古代ギリシャに実在した都市国家の名前。厳しい訓練を重ね、最強の軍隊を作り上げ繁栄したことから、このような厳格な教育法のことを「スパルタ教育」と呼ぶようになりました。2000年以上経った現代でも、厳しい教育の代名詞となっている「スパルタ」とはどのような都市国家だったのでしょうか。その全貌に迫ります。

時代背景:古代ギリシャの都市国家(ポリス)とは何か?

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スパルタは古代ギリシャの都市国家である、と述べましたが、そもそも「都市国家」とはどういうものなのでしょうか。都市なのか国なのか、いつ頃の時代のことなのか……。時代背景と共に古代ギリシャの都市国家の概要について解説します。

エーゲ文明の消滅と暗黒時代

現代のギリシャは、エーゲ海に突き出したバルカン半島の南端部にあります。温暖な気候に恵まれたこの地には、先史時代から多くの人々の暮らしがありました。

紀元前3000年頃には、エーゲ文明と呼ばれる文明が発展します。エーゲ文明とは、クレタ文明、ミケーネ文明、トロイア文明、キクラディス文明など、エーゲ海を取り巻く半島や島々で栄えた青銅器文明の総称です。

そんなエーゲ文明ですが、紀元前1200年頃、突然滅亡してしまいます。原因は不明。「トロイの木馬」で知られるトロイア戦争の影響とも、北方からギリシャ人の一派(ドーリア人)が南下してきたためとも、内乱とも、当時地中海を騒がせていた謎の民族・海の民の侵略とも言われています。

とにかく紀元前1200年頃、エーゲ海周辺では文明が消滅し、人口は激減。残されたわずかな人々は、文字も青銅器もない、周辺地域との交易もままならない貧しい日々を余儀なくされます。しかもこのような状態がおよそ400年ほど続きました。文字がないためほとんど記録も残っていないため、この時代のギリシャがどのような状態であったか、よくわかっていないのです。

そんなギリシャの紀元前1200年~紀元前800年頃を「暗黒時代」などと呼んでいます。

都市国家「ポリス」の形成

紀元前800年頃に入ると、ギリシャにポリスと呼ばれる都市国家が形成されていきます。

やはり文献が残されていないため詳しい経緯はわかりませんが、400年経って再び、ギリシャに人々が集まり始めたのです。そして、大きな国を作るのではなく、たくさんの小さな集団が誕生

古代ギリシャのポリスは世界史上においても非常に特異な存在で、国とも都市とも違う、独特の形態であったと考えられています。

ポリスとは古代の言葉で「砦」「城壁」といった意味があるのだそうです。おそらくギリシャの人々は長い暗黒時代を経て、身を守るために小さく固まって生活することを選んだのでしょう。有力な貴族など力のある者を中心として集住するようになり、それがポリスとなっていったと考えられています。

人々はまず、小高い丘や見晴らしの良い場所に「アクロポリス」と呼ばれる城塞を築き、周囲に城壁を張り巡らせました。そしてその中に、商人も農民もみんな一緒に暮らします。ギリシャには1000以上ものポリスがあったのだそうです。

ポリスはそれぞれ独自の政治を行っていました。ほとんどのポリスは君主国家というより、有力貴族をリーダーとする共同体といった趣であったと考えられています。物事を話し合いで決め、みんなで助け合って生活していくという、他の文明では類を見ない非常に珍しい体制をとっていました。

争いの絶えないポリスの時代

この時代のギリシャは、ポリス同士の争いの時代と捉えてもよいかもしれません。

おそらくポリスという形態が、人々に安定した暮らしをもたらしたのでしょう。どのポリスも徐々に人口が増え、土地を拡大せざるを得なくなったものと思われます。

ポリスの中では結束が固く、民主的とも思える政治を行っていたようですが、他のポリスとは小競り合いが絶えませんでした。互いに争いあうことはあっても、ひとつの国にまとまることはなかったのです。

互いに争いあう日々ではありましたが、同じギリシャ人同士であるという意識も持っていたようで、言葉や信仰はほぼ共通。同じ神を崇め、神事も同じであったと考えられています。

そして忘れてはならないのが「オリンピック」。4年に一度、ゼウスの神殿に集まり開かれる競技会のことです。例えポリス同士で戦争をしていたとしても、オリンピックの期間だけは休戦して競技に参加していました。

こうしてポリスの時代は、紀元前8世紀頃から紀元前4世紀頃まで続きます。その後、一気に消滅したわけではありませんが、内政の腐敗や海外からの勢力の影響など様々な要因から、ポリスという体制は少しずつ衰退していったのです。

歴史:都市国家スパルタはどのようにして誕生した?

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15世紀~16世紀頃の日本でも、国内にたくさんの「国」ができて各々守りを固め、互いに争いあう時代がありました。そうした中で数々の英雄が生まれ、強い国が台頭していく……。古代ギリシャはポリス同士が戦争を繰り返す戦乱の時代だったのです。そんな時代に誕生した「スパルタ」はどのような都市国家だったのか、歴史をたどってみたいと思います。

最強軍事都市国家・スパルタの誕生

バルカン半島の最南端に、ペロポネソス半島と呼ばれる広い半島があります。バルカン半島とは細く狭いわずかな接点があるのみで、周囲を海と湾に囲まれているため、一見「島」のような地形にも。海という天然の城壁に囲まれた、軍事拠点の建設に適した地形をした場所とも言えます。古くはミケーネ文明が栄えた場所でもありました。

このペロポネソス半島の南部に、紀元前10世紀頃、北方のギリシャ人の一派であるドーリア人と思われる民族が移住。先住民たちを制圧してポリスを形成します。これがスパルタの始まりです。先住民たちはヘイロタイと呼ばれる奴隷として、以後、スパルタ人たちのために働かされることになります。ヘイロタイの人数は数万~十数万にも及んだのだそうです。

スパルタは紀元前8世紀から7世紀頃にかけて、近くのポリスを征服し領地を広げていきます。奪った領地はスパルタ人たちの間で均等に分けられましたが、ヘイロタイたちは相変わらず奴隷のままでした。スパルタ人たちは武力で制圧しつつも、常にヘイロタイたちの反乱を恐れ警戒していたようです。

紀元前7世紀前半、スパルタに征服されたポリスが反乱を起こし、ペロポネソス半島全域を巻き込む大きな戦争へと発展します。結果はスパルタの勝利。近隣との争いや奴隷への締め付けを繰り返しながら、スパルタの力はどんどん大きくなっていったのです。

対照的な二つのポリス・アテネとスパルタ

戦いを勝ち抜いたスパルタは、その後もペロポネソス半島のポリスを攻め続けます。紀元前6世紀末、ついに半島を制覇。ペロポネソス同盟なるものを結成し、その頂点に君臨します。

同じころもうひとつ、大きな力を持っていた都市国家がありました。現在のギリシャの首都でもある都市・アテネ(アテナイ)。3000年以上続く歴史ある街です。アテネのアクロポリスであった場所には、今もパルテノン神殿が鎮座しています。

アテネはもともとこの地に暮らしていたイオニア人がそのまま定住して形成したポリス。商業や貿易を生業とし、最盛期には3万人以上もの人が暮らしていたのだそうです。

都市国家の在り方としては、スパルタとアテネは対照的と言えます。スパルタは徹底的な軍事都市で武力をもって周囲を制圧としのし上がってきたポリス。主産業は農業であったため、相当な数の奴隷を保有していました。一方のアテネは市民による民主制がとられ、早くから哲学や文学などの学問が発展。貿易が主流であったことから奴隷の数もそれほど多くはなかったようです。

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