カリブ海政策
産業が発達したアメリカは製品の販売先や原料供給地として中南米を重視します。特に、アメリカ本土に近いカリブ海はアメリカにとって重要な「フロンティア」だったのではないでしょうか。
19世紀末のマッキンリー大統領の時代、アメリカは対外拡張に積極的でした。カリブ海ではスペインと戦った米西戦争をきっかけにキューバを保護国化します。
20世紀初頭のセオドア=ローズヴェルト大統領は軍事力を伴うカリブ海進出を行いました。アメリカの軍事力を伴うカリブ海政策を「棍棒外交」といいます。
その後、アメリカ資本によるカリブ海進出を支援するドル外交を展開し、カリブ海を「アメリカの中庭」として支配しました。アメリカによる独占的支配はキューバ革命まで続きます。
国内のフロンティアを開発し尽くしたアメリカは海外に新たなフロンティアを求めた
南北戦争後、本格的な西部開拓を行うことでアメリカ国内のフロンティアは1890年に消滅します。しかし、アメリカの拡大のエネルギーはとどまるところを知りませんでした。19世紀後半から20世紀にかけて、アメリカはヨーロッパ列強と競うように中南米や東アジア・東南アジアへと進出します。拡大へのあくなき欲望は新たなフロンティアを見つけては飲み込んでいきました。