アメリカの歴史植民地時代

アメリカの西部開拓「フロンティア」やアメリカの海外進出について元予備校講師がわかりやすく解説

インディアンとの戦争

アメリカ政府のインディアン圧迫に対し、すべての人々が服従したわけではありませんでした。特に、バッファローを食料としていた平原インディアンの人々は白人による西部開拓の進展でバッファローの数が減少し、生活苦に陥ります。

アメリカ政府がインディアンに認めた居留地はどんどん縮小され、追い詰められたインディアンは武器を取って白人と争うようになりました。スペインから手に入れた馬に乗った平原インディアンたちはたびたび白人と戦います。

1851年から1886年にかけて起きたアパッチ戦争ではアパッチ族の戦士ジェロニモを中心に激しく抵抗しました。アメリカ政府は騎兵隊を編成し、インディアンと戦います。

インディアンはやられ役というわけではなく、幾度かの戦いではアメリカ軍に勝利しました。1876年にはカスター将軍率いる連隊がスー族などのインディアン連合軍と戦い全滅します。アメリカ人にとってインディアンは油断ならない相手でした。

インディアンの敗北と、その後のインディアンの扱い

1870年代から80年代にかけて、インディアンの組織的抵抗は弱まっていきました。最も激しく抵抗していたジェロニモも1886年に降伏します。1890年、抵抗していたスー族、約350人がウーンデットニーという場所で降伏したにもかかわらず殺害されるウーンデットニーの虐殺が起きました。これが、インディアンによる最後の組織的抵抗となります。

1960年代に黒人を中心とする公民権運動が起きるとインディアンも自らの権利を求めて活動しました。その結果、1968年にインディアン公民権法が成立しアメリカ市民として平等な公民権が認められます。

最大部族のナバホ族はナバホ=ネーションとよばれる居留地に20万人ほどが居住。現在はインディアンが居留地以外で生活することも認められているため、10万人ほどのナバホの人々が居留地外で生活しています。

フロンティアの消滅とアメリカの世界進出

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インディアンとの戦いが終わり、白人の勢力がアメリカ大陸全体に及ぶと開拓対象としてのフロンティアは消滅してしまいました。しかし、アメリカ人たちは東アジアやカリブ海など海外に新たなフロンティアを見出します。19世紀後半から20世紀初頭にかけて世界中を覆った帝国主義の流れに乗り、アメリカも世界進出しました。

フロンティアの消滅と新たなフロンティアである太平洋進出

ヨーロッパ諸国がアフリカ大陸を分割し植民地化していった頃、アメリカは西部開拓を終え太平洋へと進出しました。アメリカが本格的に進出したのはハワイです。

ハワイには1785年に成立したカメハメハ王朝によるハワイ王国がありました。1875年ころから白人入植者が増加。入植者たちはアメリカへの併合を要求します。1893年、白人入植者たちはアメリカ軍艦を招き入れ、その圧力によりクーデタを決行。ハワイ王朝の女王リリウオカラニを宮殿に幽閉し退位させます。

1898年、アメリカのマッキンリー大統領はクーデタで成立したハワイ共和国のアメリカ編入を承認。ハワイはアメリカの準州となりました。1959年、ハワイはアメリカの50番目の州に昇格します。入植者によるクーデタという方法は、テキサス併合と似ていますね。

日本や中国など東アジア諸国への進出

19世紀半ばになるとヨーロッパ諸国による中国進出が盛んになります。1840年、アヘン戦争で勝利したイギリスは香港を清に割譲させ植民地としました。1856年から1860年にかけて起きたアロー戦争ではフランスが参戦。ロシアも介入しヨーロッパ列強による清国進出が盛んになります。

アメリカは当時盛んだった捕鯨船の補給地の確保と清国進出の足掛かりを求め、日本に開国を要求しました。ペリーによる圧力を受けた江戸幕府は日米和親条約を締結。さらに、ハリスの交渉により日米修好通商条約を締結し200年以上続けてきた鎖国を放棄。日本は帝国主義の荒波に翻弄され明治維新へと突き進みました。

アメリカの東アジア進出は南北戦争により一時的に中断しますが、19世紀末から20世紀にかけて、「門戸開放・機会均等」をスローガンに大陸進出を図ります。

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