アメリカの歴史植民地時代

丸太小屋から大統領へーアメリカ分裂の危機を乗り切った「リンカーン」を元講師がわかりやすく解説

20世紀も続いた黒人差別

リンカーンの死にさきだつ1865年1月、奴隷解放宣言を具体化するため連邦議会はアメリカ合衆国憲法を修正。黒人奴隷制度の廃止が明文化されました。

政治的には解放された黒人でしたが、経済的には苦しい状況が続きます。そのため、黒人奴隷たちはシェアクロッパーとよばれる小作人として引き続き農場で働くことを余儀なくされました。

北軍が引き上げた後の南部では黒人取締法が制定され、社会的な差別が継続。差別を受け続けた黒人たちは「ジム=クロウ」とよばれます。

また、白人至上主義者であるクー=クラックス=クランは黒人を徹底的に迫害しました。こうした黒人差別が解消されるのはキング牧師らが推進した公民権運動を待たねばなりません。黒人差別は20世紀まで続いたといえるでしょう。

志半ばで暗殺されたリンカーンは、生きていたらどんな政策を実行したのだろうか

image by PIXTA / 50385556

開拓農民の子で、丸太小屋で生まれたリンカーンは独学の勉強で弁護士になり、大東慮選挙で当選してホワイトハウスの主となりました。アメリカ分裂の危機を乗り越え、内戦にも勝利したリンカーンはとても優秀な政治家だといえるでしょう。と同時に、こうした政治家であっても暗殺というテロの標的になってしまうというのはとても残念なことです。もし、暗殺されていなかったらリンカーンはどのような政策を実施したのでしょうか。

1 2 3
Share: