日本の歴史鎌倉時代

【鎌倉仏教】「日蓮」ってどんな人?その生涯をわかりやすく解説

池上での入滅

建治3年(1277)日蓮は何度も死にそうな法難をくぐり抜けてきましたが、歳をとって体力が落ちて体調を崩します。特に身延山の冬は盆地ですので底冷えをしたこともあり胃腸系に影響があったようですね。お医者さんの信者である四条金吾さんが、今から考えると日本初めてかもしれないカイロ(コンニャクを暖めて布で巻く)を作ったといわれていますね。

しかしどんどん体調が悪くなっていき、弘安5年(1282)9月8日、身延山を管理している地頭の波木井実長の息子の領地である常陸国(現在の茨城県)の温泉で療養をすることになりました。しかし、その途中の池上(現在の東京都大田区池上)で馬に乗ることもかなわなくなって、信者の「池上兄弟」の館で伏せってしまったのですよ。死期が近づいてきたのを感じた日蓮は、9年間世話になった波木井実長に礼状を書いて「墓は身延にたてて欲しい」と頼みます

9月25日、日蓮を見舞うために集まってきた門下たちに「立正安国論」の講義したのが最後の説法でした。そして10月13日、多くの門下の人たちが見守る中で臨終したのです。その時に季節外れの桜の花が咲いて、今でもその時期になると咲いていますね。古くから池上では日蓮の命日には日蓮宗や法華宗などの宗派だけでなく、日蓮系の新宗教系のほとんどが集まって江戸時代も風物詩となっていた「万灯練供養行列」が行われますよ。(令和元年は台風19号の影響で中止になりました)

 

波瀾万丈な一生を強い意志で乗り越えた日蓮

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千葉の海辺で生まれた日蓮は、お釈迦様の教えはひとつのはずなのに、なぜたくさん分かれているのかという疑問を持ち、幼い頃から必死で勉強をして法華経が一番人々を救う教えだと悟りました。そのために迫害にあいましたが、それすら法華経を弘めるための試練だと頑張って一生を終えたのですね。その生き方に心を打たれた人は日本だけでなく外国にも広がって、外国人のお坊さんもたくさんいますよ。なかなかそういう生き方は難しく、人は楽な生き方を選びたくなりますが、少しは見習いたいものですね。

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紫蘭