原子爆弾の投下とソ連の対日参戦
1945年5月、ドイツの首都ベルリンが陥落。ドイツは連合国に無条件降伏しました。これにより、連合国と戦い続けるのは日本だけとなります。連合国はポツダム宣言を発し、日本に無条件降伏を迫りました。日本政府はポツダム宣言を「黙殺」し、なおも戦争を続けます。日本に決定的打撃をあたることが必要だと考えたアメリカ軍は研究中の新型爆弾を実践に投入しました。それが、原子爆弾です。1945年8月6日、B29爆撃機は広島に原子爆弾を投下。原子爆弾の威力は凄まじく、たった一発で11万人以上の人々を爆死させます。8月9日には長崎にも原子爆弾が投下され、7万人以上が亡くなりました。その前日、日本が戦争終結の仲介役を期待していたソ連が日ソ中立条約の破棄を通告。日本に宣戦布告をします。条件付き講和の見込みが完全に断たれた日本政府はポツダム宣言を受諾せざるを得なくなりました。
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戦略レベルでの不利を戦術レベルの勝利で逆転するのは困難
日本は真珠湾攻撃やマレー沖海戦でアメリカ・イギリスの海軍を壊滅させ優位に立ちました。しかし、もともと国力に差があったため、時間がたつにつれ日本はアメリカの物量に圧倒されるようになります。一時的に少数で多数に勝つはできても、勝ち続けることは非常に困難でした。ミッドウェー海戦の敗北で日本が主力を失った後、形勢を逆転できなかったのは国力の圧倒的な差によるものです。
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