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知られざる「世界四大文明」の歴史ー特徴・共通点をわかりやすく解説

世界史の教科書では最初のほうに載っていた「世界四大文明」という用語。この4つの歴史を覚えるだけでも大変だった記憶がありますが、実は現在ではもっと多くの文明が存在していたと言われています。私たち人類の文明はどこから始まったのでしょうか。まずは「世界四大文明」の特徴をおさらいしていくことにしましょう。

「世界四大文明」はメソポタミア、エジプト、インダス、黄河

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まず、「世界四大文明」とは何だったのか復習しておきます。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明の4つでしたね。これらの地域は、世界の中でも早い段階で「文明」が生まれたと言われています。

では「文明」って何でしょう?そう聞かれると意外と難しいんです。当然ながら、人類はこれ以外の地域にもたくさん住んでいました。それぞれの地域で生活が営まれていたはずなのに、なぜこの4つだけが特別視されるのでしょうか?一般的には「都市化が進んでいた」「農業の発達」「文字の使用」「国家や法律などが存在する」などの条件がそろっていることが、「文明」の条件とされているようです。それを満たしていたのがこの4つの地域だったというわけですね。

「世界四大文明」は大河のほとりで生まれた

「世界四大文明」の共通点として、大きな河が流れる土地だったということがあげられます。大河があれば洪水が起きますから、堤防を作るなどして大規模な工事が必要になりますよね。そうなれば大勢の人が協力して都市を作らなければいけません。

それに大きな河は上流から栄養をたっぷり含んだ土を運んでくれるので、農業に適した豊かな土地になります。特にチグリス・ユーフラテス川、ナイル川の流域は、大きな三日月の形をしたところが非常に豊かな土地だったので、「肥沃な三日月地帯」と呼ばれていて、最も早くから文明が栄えました。

ではここからは「世界四大文明」のそれぞれの特徴を見ていきましょう。

四大文明1・現代にも影響を及ぼすメソポタミア文明

メソポタミア文明は現在のイラクで発展した文明です。イラクというと砂漠のイメージですよね。でも古代ではこの地域は非常に緑が豊かな土地だったんです。チグリス・ユーフラテス川という二つの大きな川に挟まれた地域で、紀元前9000年頃にはもう農業が始まっていたと言われます。土地が豊かなので、種を植えるだけで簡単に作物がいっぱい生えてくる土地だったのです。

紀元前3000年頃にはシュメール人と呼ばれる人々が、ウルなどの都市を作りました。シュメール人は神殿を作り、楔形(くさびがた)文字を発明しています。楔形文字はアルファベットのご先祖様のような文字です。また、太陰暦、七曜制、60進法といったものも発明しています。つまり1週間が7日なのも、1時間が60分なのも、メソポタミア文明の影響がずっと残っているからなんです。

その後、紀元前2350年頃にはアッカド人のサルゴン王という人物がメソポタミアを征服して、中央集権国家を作りました。そして、前1900年頃にはハンムラビ王で有名なバビロニア王国が再び統一国家を作っています。この地域はエジプト、ペルシア、トルコといった地域の中間にあり、古代からいろんな民族が入り込んで戦いが絶えない場所だったんですね。

四大文明2・ピラミッドだけじゃない!学問が進んだエジプト文明

ピラミッドでおなじみエジプト文明。エジプトのナイル川流域で、紀元前3000年頃から発展した文明です。紀元前3000~紀元前2000年ぐらいまでが「古王国時代」で、有名なクフ王のピラミッドが作られました。その後、「中王国時代」(紀元前2000~紀元前1800年頃)には都を上流のテーベに移しましたが、シリアからヒクソスという異民族が侵入してエジプトを支配します。

そしてエジプト人のアーメスが再び独立王国を作って、紀元前1570~1000年頃までが「新王国時代」。黄金のマスクで知られるツタンカーメンはこの時代の王です。この時代にはエジプトの外へと出て、シリア、パレスチナといった地域に領土を広げています。

エジプト文明で覚えておきたいのは、なんといってもピラミッドとスフィンクス。学問では天文学や数学が発達していて、現代の私たちが使う太陽暦や10進法が発明されました。宗教は太陽神ラーを中心とした多神教です。また、パピルスという紙に象形文字が書かれました。パピルスは「ペーパー」の語源になった言葉です。

四大文明3・歴史のミステリーが詰まったインダス文明

インダス文明は紀元前2500~1500年頃、インダス川の流域で発展しました。モヘンジョ=ダロやハラッパーに都市文明が築かれ、広場、道路、浴場、市場などが整った遺跡が出てきています。かなり計画的に作られた都市だったことがわかりますが、インダス文字と呼ばれる象形文字はまだ未解読で、どのような歴史をたどったのかくわしいことは不明です。

紀元前1500年頃、インダス文明は突如滅亡したと言われます。しかし、なぜこれほどの文明が滅びたのか、理由は全くわかっていません。一説にはアーリア人の侵入によるものとか、インダス川の大洪水によるものと言われますが、確たる証拠はない状態です。

モヘンジョ=ダロには王宮や神殿のような建物がなく、強い王がいない市民社会だったと推測されています。ではリーダーがいないのに、一体だれがどうやってこの計画的な都市を作ったのかという謎が残るわけです。インダス文明は、歴史のミステリーを感じさせる文明なんですね。

四大文明4・中国四千年の歴史!漢字を生んだ黄河文明

中国を流れる黄河の中・下流の流域で生まれたのが黄河文明です。紀元前5000~3000年頃、仰韶(ヤンシャオ)文化と呼ばれる彩陶(彩文土器)という土器を使った文化が発展しました。その後、紀元前2000年頃まで黄河の下流を中心とした龍山(ロンシャン)文化が生まれます。小さな都市国家が作られ、ろくろを使った黒陶という黒い土器が特徴で、末期には青銅器も使われていました。

そして、紀元前1900~1600年頃には夏(か)という王国が存在したとされます。もともと夏は伝説上の王朝と考えられていましたが、近年の発掘によってこの時代に何らかの国家が存在した可能性が高いと言われ、今後の研究が待たれるところです。その後、紀元前1500年頃には殷(いん)王朝が誕生しています。殷では「甲骨文字」という亀の甲羅や骨などに刻まれた文字が使われていましたが、これが現在の漢字の起源となったものです。私たちの日本とも密接な関係のある文明と言えますね。

四大文明「以外」にも文明はあった!

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さて、一通り「世界四大文明」の解説が終わったところで最初の疑問に戻ります。なぜ、世界にはいろんな文化があったはずなのに、この4つだけが特別扱いなのかという疑問です。それはもっともな話で、実を言うと現在では「世界四大文明」という用語は従来通りには使われていないんですね。なぜなら、世界にはもっとたくさんの「文明」があるという説が有力になってきたからです。

ちなみに、上の画像はメキシコのテオティワカンというところにあるピラミッド。「四大文明」以外にもこんな立派なピラミッドを作った古代文明があったんですね。

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