悲劇を目の当たりにし、敵に一矢報いることを望んだ勇猛な鶴姫
最後に悲劇が待っているとしても、それを覚悟の上で少しだけ運命に抗った女性が、鶴姫です。先にご紹介した鶴姫とは別人ですよ。女性ながらに勇猛だったという彼女は、夫と共に滅ぶ運命を辿りました。しかし、最期を迎える直前に、彼女は果敢にも敵中に突入していったのです。壮烈に散った彼女の物語をご紹介しましょう。
中国地方の中堅豪族の家に生まれる
鶴姫は、天文5(1536)年ごろ、備中(びっちゅう/岡山県)の武将で毛利家臣の三村家親(みむらいえちか)の娘として生まれました。一説には、勇猛で知られた父から武芸の手ほどきを受けていたとか。
そして、天文23(1564)年ごろに、鶴姫は常山城(つねやまじょう/岡山県岡山市・玉野市)主・上野隆徳(うえのたかのり)に嫁ぐことになりました。彼もまた勇猛な武将として有名だったと言います。
ところが、永禄9(1566)年、鶴姫の父・家親が狙撃されて殺されてしまいました。刺客を放ったのは、謀略の武将として名高い宇喜多直家(うきたなおいえ)。跡を継いだ兄の元親(もとちか)は、もちろん復讐心を燃やしていましたが、ここで宇喜多直家が毛利氏に降ったため、同僚となってしまい、表向きはおとなしくしていなければなりませんでした。
実家と夫が主家から離反し、攻められる
ただ、天正2(1574)年、兄・元親に織田信長から離反の誘いが舞い込みます。毛利氏に仕えていた元親は迷いましたが、離反を後押ししたのは、鶴姫の夫・上野隆徳でした。
こうして元親と隆徳は毛利から離反しましたが、毛利から討伐軍を派遣される事態になってしまったのです。
毛利氏は中国地方の覇者とも言うべき存在。兵は強くしかも大軍で、三村・上野連合軍がかなうわけもありませんでした。次々と城を落とされ、ついに元親は自害してしまいます。
そして最後に残ったのが、鶴姫と隆徳のいる常山城でした。ただ、ここもまた毛利の大軍によって包囲されていたのです。
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せめて最後に反撃を…敵中に切りこんだ鶴姫
もはやこれまで、と覚悟を決めた城内では、隆徳の母や妹、息子たちが次々と自害していきました。壮絶な光景を、鶴姫と隆徳は見守ることしかできずにいました。
しかし、そこで鶴姫の心に炎が灯ります。
彼女は気丈にも「仇を討たずには死ねません!」と叫ぶなり、甲冑を身に着け、亡き父・三村家親から輿入れの際に贈られた刀を手にすると、敵中に飛び込んでいったのです。侍女たち30人余りもそれに続き、彼女たちは敵が怯むほどの奮戦を見せたと伝わっています。
ただ、それもわずかな間のこと。鶴姫は敵将に向かって刀を投げ渡し、「死後、我々を弔って欲しい」と言い残し、城内へと戻っていきました。
そして、夫のもとに戻った鶴姫は自害し、夫・隆徳もそれを見届けてから切腹して果て、備中上野氏はここで滅亡を遂げたのです。
最後に、武家の女性としての誇りを、その身をもって示した鶴姫。潔い最期だったからこそ、悲劇的なものを余計に感じてしまうような気がします。
戦国時代に姫たちが直面した悲劇
夫や実家と共に滅びる運命をたどった姫たちが多かった戦国時代。女性や子供にとっては厳しい時代でした。しかしその中で、誇りを捨てることなく生き、悲劇を受け入れた姫たちの最期は、潔さと共にどこか清々しささえ感じます。ただそれでも、戦国の悲劇の数々の上に今の時代があることを、忘れてはならないように思いますね。
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