そもそも「ええじゃないか」って何?
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今では「ええじゃないか」といえば某絶叫マシンが有名なので、そちらを思い浮かべる人も多いでしょう。元々は歴史上発生した民衆による騒動のことを指す言葉。この騒動をモデルにして生まれたのが絶叫マシンの「ええじゃないか」です。
「ええじゃないか」が流行したのはいつ?
「ええじゃないか」がブームとなったのは、1867年(慶応3年)の8月から12月。大河ドラマや漫画などの題材として人気のある時代、幕末のことでした。1867年に起こった出来事で有名なのは、大政奉還や近江屋事件です。大政奉還とは、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に徳川慶喜が征夷大将軍を辞して朝廷(明治天皇)に政権を返上し、翌日に朝廷が許可した出来事。近江屋事件はそのおよそ一ヶ月後、坂本龍馬らが暗殺された事件です。「ええじゃないか」は激動の時代の最中にブームとなったのですね。
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「ええじゃないか」はどんな騒動だった?
時は幕末。ある噂が江戸より西、東海地方や近畿地方を中心として広まりました。それは、「お札が天から降ってきた、これは良いことが起こる前兆だ」というもの。お札には各地で信仰の対象となっている神仏の絵が描かれています。当時、飛行機などは空を飛んでいないでしょうし、なんとも不思議なお話ですよね。この噂に乗じて、民衆は「ええじゃないか」と歌いながら踊ったといいます。
お札が降りてきた家には幸福が訪れるとされ、家主は縄飾りなどで家を派手に飾り付けたそう。お札がたくさん降ると、人々は仮装をして楽器を打ち鳴らしながら長時間踊り続けました。この騒動で日常生活に支障が出るほどだったというから驚きです。
「ええじゃないか」の歌詞
踊りに際して、人々は歌を歌いました。「ええじゃないか」の歌詞は、その名の通り「エージャナイカ」や「エジャナイカ」といった文句を特徴としています。また、性的な表現が含まれる歌を歌う地域もありました。
他に特筆すべきなのが、各地の歌詞に見られる「世直り」や「世直し」という言葉です。幕末、民衆は不安定な社会情勢を憂い、江戸時代の終わりから明治時代のはじめに一揆や打ちこわしとしてその意志を示しました。これを「世直し一揆」と言います。政治に関しての歌詞が見られることから、「ええじゃないか」もこの「世直し」運動の一種なのではないかと言われているのです。
「ええじゃないか」の謎
「お札が空から降ってきた」という騒動の始まりからして謎の深い「ええじゃないか」。ここからは「ええじゃないか」を巡る様々な謎に迫っていきます。比較的近い時代に起こった騒動でありながら、「ええじゃないか」には解明されていない部分が多いんです。
「ええじゃないか」発祥の謎
愉快で不思議な騒動の始まりの地として伝えられるのは、京都。そして、愛知県。京都発祥説を裏付けているのは、『岩倉公実記』や『西宮市史』などの史料です。一方愛知県名古屋市では、1867年の3月にはじめての「降札」があったそうで、「ええじゃないか」のお祭り騒ぎには発展しなかったものの、その気配をうかがうことができます。5月にも降札がありました。そして、藤谷俊雄『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』によれば、1867年8月に尾張の地で「ええじゃないか」が始まったとのことなのです。
「おかげまいり」、すなわち「お蔭参り」は「ええじゃないか」と少し共通点のある現象。江戸時代、人々が集中的に伊勢神宮へ参詣するという時期が定期的にありました。伊勢神宮から帰った参詣者がお札を配ったり、お札を神社に奉納したりする風習があったこともあり、「ええじゃないか」との関連が指摘されています。
参考:南和男『名古屋の「ええじゃないか」について』
「ええじゃないか」の裏にあったかもしれない狙い
「世直し一揆」、「お蔭参り」に似た特徴を持っている「ええじゃないか」。このほかにも、なるほどと思うような説があります。民衆が主導して起こした騒動ではなく、ある派閥が作為的に起こしたものであるという説です。その派閥とは、「倒幕派」。彼らが国内を混乱させるために「ええじゃないか」ブームを起こしたとも考えられています。お札が本当に空から降ることはおそらくないでしょうから、誰かが意図的に撒いたものである確率は高いですよね。真偽はともかくとして、明治政府が成立したあとに、「ええじゃないか」は収束に向かっていくこととなりました。