遷都は辛いよ…日本の遷都の歴史と物語
明治維新による東京奠都【平安京から東京(皇居)】
福原京に遷都するというゴタゴタもありましたが、そこから鎌倉時代以降の武士の時代に入っても基本的には京都は平安京に置かれていました。
しかし、幕末の頃に入ると天皇が自ら政治をするために心機一転平安京から離れて新しい都に移ろうという計画が持ち上がります。しかし、まだこの時は江戸で戦争が起こる可能性が非常に高かったため、遷都の第一候補は大坂でした。
その後鳥羽伏見の戦いに勝利した新政府軍の参謀の1人であった大久保利通は有栖川熾仁親王に対して天皇が石清水八幡宮に参拝した後にそのまま大坂に滞在して朝廷のこれまでの風習を改めようという計画が持ち上がりました。(浪華遷都)
しかし、これに対して公家たちは猛反発。最終的にはこの計画はなしとなってしまい、大坂へは行幸(お出かけ)の形で終わってしまいまいます。
そんなある日なんと江戸で戦争が起きずに江戸城が無血開城したという知らせが新政府に届きました。既に開発している江戸に都を移せば効率的に都市整備が可能ですし、公家の影響をもろになくすこともできます。こうして新政府は江戸に都を移すことで大まかには決定。
1868年に徳川家が駿府70万石で移封が決定すると大木喬任と江藤新平がかねてより提案していた江戸を東京にするという案も賛成をいただき、遂に1868年8月27日東京に首都が移転したのでした。
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都は日本の文化と政治の中心地となった
都が置かれていた平城京や平安京などは色々な日本の政治的な理由で都が移されていきましたが、都は日本の首都として文化や政治の中心地として栄えていくようになり、今では古都としてたくさんの観光客が押し寄せるようになりました。
遷都はまさしく日本を変えたといっても過言ではないのですね。