3-4. 静かに、しかし強く生き、姫たちを育て上げる
彼女のもとでは、兄・仁科盛信の娘・督姫や勝頼の娘・貞姫、そして勝頼を裏切った小山田信茂の養女・香具姫が養育されていました。松姫は粗末な庵で子供たちに字を教え、養蚕や織物などを手がけて暮らし、姫たちを育てたのです。時代は移り変わり、天下は豊臣秀吉から徳川家康のものとなっていました。
督姫は病弱だったため、残念ながら松姫より先に亡くなってしまいますが、貞姫は位の高い旗本・宮原義久(みやはらよしひさ)に嫁ぎ、香具姫は陸奥磐城平藩(むついわきたいらはん)の藩主・内藤忠興(ないとうただおき)の側室となって次期藩主となる息子を生み、それぞれの幸せをつかみました。彼女たちに自分の果たせなかった女性としての幸せをつかんでもらい、松姫は我がことのように喜んだことと思います。
3-5. 将軍の庶子の養育を頼まれる
また、彼女は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の庶子・保科正之(ほしなまさゆき)の養育を、異母姉・見性院(けんしょういん)と共に託されました。
正之は後に会津藩主となり、異母兄・徳川家光を補佐し、幕府の重鎮中の重鎮となりますが、その素地をつくる教育を与えたのは、松姫だったというわけです。そんな大きな役割を頼まれたのも、血筋だけではなく、彼女の人となりが素晴らしかったからにほかなりません。
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3-6. 多くの人々に慕われた女性だった
そんな彼女の心優しさは、旧武田家臣たちの心のよりどころとなりました。徳川家康の重臣となった大久保長安(おおくぼながやす)らは、積極的に松姫を支援し、草庵を建てるなどして彼女の生活環境を整えたのだそうです。また、長安が中心となって組織した旧武田家臣たちから成る八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)も、松姫を慕い、いつも心を寄せました。八王子の人々も、子供たちに字を教え、養蚕を始めた彼女を尊敬したそうです。八王子の織物の歴史は、彼女から始まったとも伝わっているのですよ。また、徳川家康でさえも彼女を気にかけ、領地を寄進したこともあったそうです。彼女がいかに素晴らしい女性だったかがわかりますよね。
そして元和2(1616)年、松姫は56歳の生涯を閉じました。終生、誰にも嫁ぐことなく、信忠への思いを胸にしまったまま、彼女はつつましくも強く生き続けたのです。
誰よりも強い女性だった松姫
松姫が織田の軍勢から逃れ、越えて行ったという山梨県内の峠には「松姫峠」という名前が付けられています。現在は松姫トンネルが開通し、今でも彼女を偲ぶことができますよ。婚約者を一途に思い続けるも会うことすら叶わなかったという悲恋の物語の主人公でありながら、松姫の人生からは、彼女の強さが感じ取れますね。歴史の影に隠れた戦国の女性たちの人生は、現代の私たちにはとても興味深いものだと思います。