日本の歴史

日本の古都京都の知られざる歴史について解説!

幕末の頃の京都

幕末の頃の京都を一言で表すとなれば治安が最悪。これに他ならないでしょう。ペリーが来航して1858年に安政の五カ国条約が結ばれるようになると、外国人を追い払おうとする攘夷の機運がどんどん高まっていき、その分天皇を敬うという尊皇思想もそれに伴って一気に増え始めることになりました。

さらに、幕府が公武合体という朝廷と幕府を合体させるという思想を展開すると京都では尊皇と攘夷を合わせた尊王攘夷の志士たちが天誅という形で公武合体派の武士を暗殺するテロ事件が横行。これに困った幕府はこれまでの京都所司代だけではなく、京都守護職という新しい役職を置いてさらに天誅を行う尊王攘夷派の志士を取り締まるために新撰組という今の警察のような治安維持部隊も編成されるようになりました。

京都一帯を焼いた蛤御門の変

さて尊王攘夷派の志士が京都で暴れまくることになったのですが、この時の尊王攘夷派の急先鋒と呼べたのが長州藩でした。そのため長州藩は当時京都守護職であった松平容保から睨まれる立場となり八月十八日の政変によって京都から追い出されるようになりました。しかし、長州藩からしたらいい天皇を敬って何が悪いの一点張り。長州藩は天皇に直訴するために再び京都に集結するために兵を伴って京都に上洛。京都に入る際に禁門付近で幕府軍と争ったことによって京都の街はほとんどが焼け野原になったそうです。

ちなみに、この蛤御門の変の由来はこれまで決してあけられることがなかった門がこの混乱の最中開かれた様子が蛤にそっくりだったということですよ。

京都が都ではなくなる!?知られざる東京奠都

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さて、このように蛤御門の変などの混乱で一時期は焼け野原になるなど散々な目に遭っていた京都ですが、見事に倒幕がなされ明治維新がやってくるとついに首都としての機能も無くしてしまうことになります。次はそんな京都が明治に入ってどのような歴史を歩んでいったのかを見ていきましょう。

東京への首都移転

1867年。この年に徳川慶喜によって大政奉還がなされ265年続いた江戸幕府は終焉を迎えることになりました。この時、明治新政府はかつて三都と呼ばれていた江戸、大坂、京都に府を設置して京都は京都府として成立。ある程度の地位はあったのですが、しかし1868年になると京都を揺るがすとんでもない事態が起こることになりました。それがいわゆる東京奠都だったのです。

東京奠都によって首都機能や政治が行われる場所は全て東京に移動。

平安京から曲がりなりにも首都として機能していた時代が終わりを迎えたのでした。

京都の近代化

こうして首都機能を失ってしまった京都。平城京の例もありますので京都の人たちはこれによって一気に寂れてしまうという危機感に陥ることになりました。そこで京都は『第二の奈良になるな』というスローガンを立てて京都を寂びらせないような計画をどんどん打ち立てていくことになります。

例えばその代表例として琵琶湖疎水が挙げられます。これまで鴨川ぐらいしか京都市内に通っていなかった水資源を琵琶湖から直接引くことによって運河を建設。これによってたくさんの経済効果を生み、さらにそれに伴って作られた水力発電所で発電された電気を使って電車を走らせたり、日本初の市電も開通させたりするなど近代化が推進されるようになりました。

さらに、京都の歴史ある寺を観光資源として有効活用して今の観光都市京都の礎を築き上げたのでした。

京都は日本のふるさと

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京都はいろんな歴史を踏まえていきながら、今では観光都市として大いに栄えるようになりました。その裏には京都の人たちの並々ならぬ努力があったのは確かです。

もし京都に行くことがあれば京都を守ってくれた人たちに想いを馳せてみてはどうでしょうか?

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