日本の首都東京はどんな歴史を歩んでいったのか?江戸から東京の歴史を解説!
東京府として
こうして東京は日本の首都としての歴史がスタートしましたが、明治時代に入ると西洋からの文化がフルに実用化されるようになり明治5年には新橋〜横浜間で鉄道が開通するなどインフラも整備されていき、さらには煉瓦造りのモダンな建物も急増するようになりました。
また、1878年に入ると東京府の中でも特に都会として発展としていた地域を中心に東京市が成立。15区が新しく誕生して、最終的には今の東京23区にあたる地域が形成されていきました。
関東大震災、そして戦争
こうして首都となった東京ですが、大正時代、そして昭和時代初期に入ってくると東京の街は戦災や震災などで度々甚大な被害を出すこととなりますが、その度に復興していき最終的には世界一の大都市までに成長することになります。
次は大正時代と昭和時代初期の東京についてみていきましょう。
関東大震災の発生
明治時代に入って急速な近代化を進めていった東京。わずか50年ほどでかつて平屋が並んでいた街並みは一変して煉瓦造りの建物やガス灯が並ぶモダンな街に進化したのです。
大正時代に入ると人口も爆発的に増え始め1920年代に入ると東京の人口は370万人を突破。名実ともに首都としての威厳を見せつけることになります。しかし、1923年9月1日東京を始め関東地方中心に巨大な地震が発生。いわゆる関東大震災が起こり、死者行方不明者10万余り、さらに火災も発生したことによって東京の街は一面火の海となりその結果東京の街は荒廃することになります。
しかし、この当時東京市長出会った後藤新平は新たなる東京の街を計画。見事に復興を成し遂げたのでした。
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太平洋戦争による東京大空襲
こうして東京の街はなんとか復興を遂げることになったのですが、しかし、20年後にはまた東京の街は焼け野原と化してしまいます。
1941年、日本軍はアメリカに奇襲攻撃を仕掛けて太平洋戦争が勃発。1944年にサイパン島が陥落すると東京にめがけて焼夷弾が降るようになり、木造住宅が密集していた東京の街は一気に燃えてしまいました。さらに1945年3月10日には東京大空襲によって東京の街は完全に破壊。東京は壊滅的なダメージを受けてしまい10万人が亡くなったそうです。
1945年8月15日には日本は連合国に対して無条件降伏を通達。4年にわたる戦争で東京の街は再びその姿を失ってしまいました。
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戦争からの復興とメガロポリス東京
太平洋戦争での敗戦後、東京にはアメリカ軍中心の進駐軍が続々と進駐。東京を中心とした再復興が進められるようになります。東京の街では闇市という法外な値段で売られた物品が横行。さらに戦災によって家を失った人は臨時的に作ったバラックという簡素な家に住んでなんとか生き延びていました。
しかし、1950年の朝鮮戦争が始まると日本は朝鮮特需によって経済は復活。アメリカも日本の復興を最優先として1955年ぐらいになると東京の街は再び復興することとなります。
また、高度経済成長期に日本が突入すると1964年の東京オリンピックを始め新幹線の開通、高速道路の整備、東京の市街地の拡大など東京はみるみるうちに大発展を遂げて今では900万人を越す人々が暮らすまでになりました。
しかし、その一方で1967年に革新派である美濃部亮吉が都知事に当選すると発展ではなく環境設備を重点とした政策が行われるようになります。
1980年代後半となるとバブル景気によって東京の土地の値段は一気に跳ね上がり、さらに1991年のバブル崩壊によって空き地が所々に見られるなどの弊害も出ました。
今では2013年にオリンピック開催地と決まったことで臨海部を中心に再開発が進んで行われ、これまでとは新しい発展が期待されています。
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