9代最後の将軍・守邦親王
鎌倉幕府最後の将軍である「守邦親王」は、前将軍・久明親王の息子で8歳で征夷大将軍に就任。歴代の将軍としては最長の24年9カ月在職しています。政治的には執権も形骸化していて「長崎円喜」たちが握っていました。
守邦親王が残したものというと、題目宗(現・日蓮宗)と全仏教界を公式問答させたことですよ。宗祖・日蓮の六老僧の「日朗(池上本門寺住職)」に法論することを命じますが、高齢なために弟子の「日印」が代表として行き、文保2年(1318)12月20日~翌元応元年(1319)9月15日にかけてすべての宗派を論破したために、題目宗が正式に認められました。
元弘3年(1333)に「元弘の乱」という「後醍醐天皇」による倒幕運動が起きましたが、後醍醐天皇の皇子・護良親王が発した令旨には「伊豆国在庁時政子孫高時法師」と討伐する相手が書かれていて、守邦親王は名目上としては将軍であるにもかかわらず無視されていたのか、同じ皇族なので除外されていたのか書かれていませんでした。元弘3年5月22日「鎌倉の戦い」で足利義詮や新田義貞の攻撃で鎌倉幕府は滅亡し、北条氏の大半は戦死したり東勝寺で自害しました。その後の守邦親王の消息はわかっていません。
鎌倉将軍はつらいよ?
鎌倉幕府を苦労して開いた源頼朝。それは朝廷支配から武家社会の大変革でした。しかしその後の「将軍」というものは政治にも参加することができないばかりか長続きせず、さぞやつらかったでしょう。鎌倉幕府が滅亡するまで、たとえお飾りであっても、こんな大変な将軍様たちがいたことを少しだけでも覚えて置いてくださいね。
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