ヨーロッパの歴史

なぜ私たちの社会は「民主主義」なのか?選挙に行く前に知っておきたい「民主主義」の歴史

近代ヨーロッパの民主主義3・イギリス流の議会制民主主義

さて、民主主義といっても古代のようにみんなで丘に集まって議論するなどということは近代になったらもうやってられません。その代わりにイギリスで発展したのが「議会制民主主義」でした。選挙によって代表者を選び、国会で法律を作ったり予算を決めたりするという制度です。国家のトップである首相は、国会議員の中から指名されます。イギリスでは革命によって国王が廃止されるということがなかったので、議会と首相が一体となって国王と対立するというタイプの民主主義が発展したのですね。

ちなみに、日本の国会制度はイギリスをモデルにしています。よく「日本の首相はアメリカの大統領と比べて権限が弱い」と言われますよね。でも、アメリカでは大統領と議会が対立しがちなのに対して、日本は議会が首相を選ぶので基本的に議会と首相が対立しません。そういう意味では日本のほうが首相の権力が強いのです。戦後、自由民主党が長年にわたって政権についているのは、こうした権力構造によって良くも悪くも政権が安定していたからなんですね。

アメリカの民主主義1・「三権分立」と「大統領制」

一方、アメリカでは「大統領制」が生まれました。ご存知の通り、国民が直接選挙によって大統領を選ぶという制度ですね。これは権力分立の考え方がもとになっています。つまり、いろいろな政府の機関を代表する大統領は国民が選挙で選出。国会は大統領から独立して法律を決めることができますが、どうしても受け入れられない時は大統領が拒否権を発動することもできます。司法(裁判所)は憲法に照らし合わせて、法律が違憲であるかどうかを審査できるという仕組みです。つまり、大統領・国会・裁判所がジャンケンのような三つ巴の関係になっていて、お互いがお互いをけん制できるようになっているんですね。

なぜ、こんなややこしい制度を作ったのでしょうか。それは権力の暴走を防ぐためです。実際、アメリカは独立当初に議会が暴走して大変なことになったりしたんですね。その反省もあって、ジェファソン(のちの第3代大統領)らが慎重に権力を分散する仕組みを作ったわけです。「民主主義によって選ばれた大統領や議員なんだから、好きなように法律を変えたり政策を決めたりしてもいいじゃないか」と思う人がいるかもしれませんが、民主政治は権力を集中させると専制政治になる危険性が常にあります。それを避けるために権力を分散させるべきというのが、モンテスキュー以来の「近代民主主義」の考え方なのです。

アメリカの民主主義2・奇妙な「選挙人制度」

アメリカの大統領選挙は4年に一度、夏季オリンピックと同じ年に行われます。アメリカの選挙報道を見ていて、「選挙人制度」という聞きなれない制度があることを知ったという方もいるのではないでしょうか。アメリカの大統領選挙は、50個ある州ごとに票を集計します。そして、勝った候補はその州の「選挙人」を選び、選挙人の投票で大統領を決めるという制度なんです。つまり、アメリカの大統領は国民の選挙で直接選ばれるわけではないんですね。

なぜこんなややこしい制度になったのかというと、アメリカが独立した当初、インターネットはもちろんないですし、電話やラジオすらなかったんです。全国的な規模で選挙を行うというのが難しかったので、州ごとに地元の名士を選んで彼らに投票を託すという方法が行われたという名残なんですね。実はこの制度のせいで、全国の得票数では勝っているのに選挙人の数が足りなくて負けるというような現象も起きています(例えば、2016年大統領選挙ではヒラリー・クリントンのほうがトランプよりも得票数では勝っていました)。しかし、丘の上で議論していた「直接民主主義」の名残が感じられて、歴史的には味わい深いものがあると思います。

日本の「民主主義」はいつ始まった?

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最後に駆け足になりますが、日本の民主主義の歴史について見ていきましょう。先ほども触れたように、日本の民主主義はイギリスの政治をモデルにしています。しかし、これもご存じの方が多いと思いますが、戦後の日本政治はアメリカの影響を強く受けているという面もあるわけです。なぜそうなったのか、歴史を紐解いていきます。

日本の民主主義1・戦前に「民主主義」はなかった?

徳川幕府による封建体制だった日本は、明治時代になると議会や憲法(大日本帝国憲法)が作られ、近代国家としてのカタチが整えられていきます。中江兆民という人によってルソーの本が訳されたりもして、民主主義の考え方も日本で紹介されました。有名なところでは1万円札でおなじみの福沢諭吉の『学問のすすめ』。この本の冒頭にある「天は人の上に人を作らず」という文はアメリカ独立宣言の一節を翻訳したものです。大正時代になると「大正デモクラシー」といって、民主的な思想が発展したことは有名ですよね。

でも、アジア・太平洋戦争の前には「民主主義」という言葉は使われませんでした。「デモクラシー(democracy)」という単語の訳は「民本主義」という言葉が使われていたのです。「民主=国民が主権を持つ」というのは、天皇が「大権」を持つ日本では過激思想で、使うのははばかられる言葉だったんですね。中江兆民らの「デモクラシー」の思想は日本の思想史では非常に重要なのですが、主流になることはありませんでした。

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