室町時代戦国時代日本の歴史

5分でわかる義姫(伊達政宗の母)の生涯!鬼母?なぜ毒殺?わかりやすく解説

2-2. またもや戦場に輿で乗り付ける

政宗はその後の勢力拡大を狙い、周辺豪族たちとの戦いを繰り広げます。すると、義姫の兄・最上義光とは必然的にぶつかることとなってしまいました。義光もまた、東北の覇者たらんとして常に政宗の動きには目を光らせていたのです。義姫は、息子と兄の戦いを見つめ続けることとなりました。

天正16(1588)年、大崎氏の内紛に介入した政宗と、大崎氏に加担した義光との間で大崎合戦(おおさきかっせん)が勃発します。以前は夫・輝宗と兄との間で起きた合戦に介入していた義姫ですが、今回も再び戦場に輿で乗り付けました。しかも、両陣営の間に仮の小屋を建てさせ、そこに80日間も居座ったというのです。

2-3. 伊達と最上の間に立ち、交渉役をつとめる

もちろん、彼女の目的は両者の和睦を仲介することでした。彼女は政宗の側近中の側近・片倉景綱を経由して政宗の意向を聞いており、その一方では義光に伊達の書状の内容をこっそり開示するなどして、両者のどちらにも良い方向に向くようにと交渉したのです。

また、義光が連れてきていた幼い息子が、義姫を「叔母上」と呼んで懐いたのを見て、義光は号泣し、停戦を決意したという逸話もあります。その後、義光は大崎氏と政宗との調停に乗り出しますが、どうにもうまくいかず、義姫に泣きついたそうです。「羽州(うしゅう)の狐」と呼ばれ、謀略にすぐれたと言われている義光が頼るほどですから、義姫が交渉役として、ただの女性以上の働きをしており、伊達・最上の両方から重要視されていたことがわかりますね。

2-4. 政宗を毒殺しようとした?

天正18(1590)年、政宗は豊臣秀吉による小田原征伐に参加するため、小田原へ向かおうとしました。その時、義姫の招きに応じ、その席でお膳に毒を盛られ、生死の境をさまよったという説があります。このために小田原参陣が遅れ、白装束を身に着けて秀吉に面会したという流れになったとも言われているそうです。

この毒殺未遂事件については、非常に謎が多いのですが、兄の意向を受けた義姫が毒を盛ったとささやかれてもいるんですよ。この説は、幼少期に疱瘡を患って右目を失い、容姿が醜くなってしまった政宗を疎んじ、利発な弟の小次郎を溺愛した義姫が、小次郎に家督を取らせるために政宗を毒殺しようとしたというもの。ただ、政宗は一命を取り留め、毒に苦しみながらも小次郎を斬殺したと言われています。

この逸話が相当根強いため、義姫は息子を毒殺しようとした鬼母だというイメージで語られるようになってしまったのです。

2-5. 毒殺未遂事件の真相

政宗の弟・小次郎を擁立しようとする動きがなかったわけではなく、このために政宗が小次郎一派の一掃を試みたということはあったようです。その中から毒殺未遂事件が創作されたのではないかと推測する説もあります。というのも、毒殺未遂に関する話が登場するのは、江戸時代になってからなんだそうですよ。

このため、義姫が政宗を毒殺しようとしたこの逸話に関しては、真偽のほどが疑われています。というのも、この時期にも2人は手紙のやり取りをしており、とても毒殺しようとするような関係であるとは思えないというんですね。

また、この直後、政宗は文禄の役により渡海しますが、出陣中の彼に対し、義姫は小遣いと和歌を送っています。これに感激した政宗は、「踊り上がり、あちこちを探し回り現地で土産物を探し回りましたが、目ぼしいものもなく、木綿の反物を贈ります」と記した書状が伝わっており、やはり2人の関係は悪くなかったと考えられるのです。大事に思っていなければ、小遣いなど送ったりしませんよね。

3. 突然の出奔と帰還、息子との日々

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息子・政宗との関係は悪くなかったはずの義姫ですが、突然、政宗の居城・岩出山城(いわでやまじょう)を出奔し、実家に帰ってしまいます。やがて戻ってはきますが、その理由は今も謎に包まれていますよ。その後、久しぶりに訪れた母子の時間に、義姫はどんな思いを抱いていたのでしょうか。彼女の晩年に迫ってみたいと思います。

3-1. 出奔の理由は?

政宗が渡海していた文禄の役が終結した翌年、義姫は突然、政宗の居城・岩出山城を出奔し、実家の最上氏へ帰ってしまいました。現代でも突然実家に帰るというのは驚きの行動ですが、戦国時代にあっては、自分の意思で実家に戻るというのはおよそ有り得ない話だったんですよ。

はっきりとした理由は今も不明です。もしかすると、小次郎斬殺事件と何らかの関わりがあるのかもしれないと言われていますが、政宗とは手紙のやり取りもあったため、いったい何がどうしてこうなったのかわからないというところですね。

ただ、いずれにせよ、実家に戻るということを決断し実行に移す行動力が義姫にはあったことがわかります。また、兄・義光との仲が良かったからこそ、戻ることができたのですね。

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