イタイイタイ病をめぐる裁判・補償
イタイイタイ病が単なる病気や業病ではなく神岡鉱山の鉱毒によってもたらされた公害であると考えた人々は団結して神岡鉱山を操業する三井金属鉱業、国、県に対して救済措置を求めました。より踏み込んだ対応を求めるため、住民たちは裁判に訴えます。こうして、イタイイタイ病をめぐる裁判が始まりました。裁判と補償についてみてみましょう。
イタイイタイ病対策協議会の設立と裁判
1966年、被害者とその家族・遺族たちはイタイイタイ病対策協議会を結成します。住民たちは一致団結して神岡鉱山・三井金属鉱業に補償・賠償を請求しました。1968年、住民たちは三井金属鉱業を相手取り損害賠償の裁判をおこしたのです。
裁判には被害住民の大半が参加したため500名以上の住民が原告となりました。裁判ではイタイイタイ病とカドミウムとの因果関係について争われます。住民はイタイイタイ病の発生地域が鉱山廃液が排出された神通川流域の農業地域に限定されていることなどをあげ、カドミウムがイタイイタイ病の原因と主張しました。
一方、三井金属工業側はカドミウムが人体に与える影響はまだ十分に解明されていないとして、因果関係はないと主張。双方の主張が真っ向から対立する中、1971年、第一審で原告が勝訴。三井金属工業側が控訴したため開かれた第二審でも住民側が勝訴します。裁判所はカドミウムとイタイイタイ病の間には因果関係があると断定しました。
イタイイタイ病患者の認定と救済措置
第二審判決の翌日、勝訴した住民たちは三井金属鉱業の本社に出向き直接交渉を実施。その結果、3つの誓約書を取り交わします。第一に、被害住民への賠償金支払い。第二に、今後、こうした公害を起こさないということ。第三にカドミウムによって汚染された土壌を復元するということです。
こうして、賠償と救済措置が進められましたが患者として認定される条件は厳しいものでした。2014年段階で認定患者は198人にとどまっています。認定基準が厳しいのではないかとイタイイタイ病対策協議会会長の高木氏は指摘しました。
2013年、救済の範囲を広げるため「神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会」は三井金属との間で一時金の支払いで合意。これによりイタイイタイ病の金銭的救済措置はほぼ終了しました。
神通川流域の環境被害対策
カドミウムによって汚染された神通川流域では環境復旧のための努力が続けられています。発生源である神岡鉱山では毎年立ち入り調査を実施。1972年以来毎年、専門家や住民などによる調査団が立ち入り調査をおこなっています。
また、神岡鉱山から流れ出す水や神岡鉱山で採掘されたあとの鉱石のくずなどからカドミウムが漏れ出さないよう、入念なチェックを継続。これらの結果、神通川のカドミウム濃度は国の環境基準を大幅に下回るようになりました。
カドミウムによって汚染された農地の土は取り除かれ、神通川流域の農地は回復。2012年までに農地の復旧工事が完了しました。現在、復旧された農地で生産される米のカドミウム濃度は基準値を大きく下回るもので健康に全く問題のないものです。
日本の公害対策と環境保護
日本が記録的な高度経済成長を遂げているころ、日本各地で公害が深刻化。多くの人々が公害病に苦しみます。1960年代後半になると公害病をめぐる裁判が次々とはじまりました。政府はようやっと公害対策に本格的に乗り出します。1973年までに四大公害裁判の全てで被害者が勝訴するとその流れは加速していきました。
公害対策基本法の制定と環境庁の設置
公害対策基本法は1967年に公布された法律です。この法律は水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病などの発生を受けて制定されました。公害対策基本法では大気汚染、水質汚染、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭の7つを典型7公害と定めます。
公害対策基本法の目的は、国民生活を守り、健康で文化的な生活を確保するために公害を防止することで、事業者や国・地方自治体に公害の防止に関する責務を明らかにしました。この中で政府は環境基準の設定や大気汚染などへの規制を行うことが定められます。
また、地方自治体は公害防止のための具体的な施策を実施することなども定められました。さらに、1971年には環境庁の新設が決定。公害問題に政府が本格的に取り組む体制が整えられていきます。