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大国アメリカが敗北した「ベトナム戦争」をわかりやすく解説!

トンキン湾事件と北爆の開始

1964年8月、ジョンソン大統領はトンキン湾を航行中のアメリカ軍駆逐艦が北ベトナム艦の魚雷攻撃を受けたことと、反撃のため北ベトナムを爆撃したことを発表しました。

ジョンソン大統領は議会に対し、大統領に「あらゆる手段をとる」ための権限を与えるよう要請。アメリカ議会は圧倒的多数でこれを認めました。この決議は事実上、アメリカから北ベトナムへの宣戦布告となります。

トンキン湾事件への報復として始まった北ベトナムへの爆撃、通称“北爆”は1965年以降、恒常化しました。65年から68年にかけて行われた北爆でアメリカ軍は223万トンもの爆弾を投下。ベトナム人の死者・行方不明者は6万人に達しました。しかし、アメリカ軍も無傷ではすまず多数の航空機を失いました。こうして、アメリカ軍は圧倒的物量で北ベトナムを屈服させようとしたのです。

戦争の長期化

アメリカは南ベトナムを支援するため北爆だけではなく20万人もの地上軍を派遣。南ベトナム各地で抵抗を続ける南ベトナム解放戦線(ベトコン)の制圧を図ります。

アメリカ軍はナパーム弾や枯葉剤などを使用して解放戦線を倒そうとしますが、解放戦線はジャングルに立てこもりゲリラ戦を展開。さらに、解放戦線は隣国のカンボジアを通じて北ベトナムから支援物資を受け取り、ゲリラ戦を有利に展開します。

この支援ルートをホー・チ・ミンルートといいました。アメリカはホー=チ=ミンルート遮断のためカンボジアやラオスを空爆。戦争はインドシナ半島全体に拡大しました。長期にわたる戦争はアメリカ財政を圧迫します。大統領となったニクソンはベトナム戦争終結のチャンスを探し始めました。

テト攻勢

テトとは、ベトナムで旧正月の祝日を表す言葉です。1968年1月30日、このテトにあわせて北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線がアメリカ軍や南ベトナム軍に大攻勢を仕掛けました。この攻勢をテト攻勢といいます。

北ベトナムと解放戦線は南ベトナムの各都市で重要拠点を襲撃。南ベトナムの首都サイゴンを攻撃した部隊はアメリカ大使館を一時占拠。結局、攻勢自体はアメリカ軍と南ベトナム軍の反撃により失敗しましたが、北ベトナムと解放戦線の力が強力であることを世界に印象付けました。

また、南ベトナムの警視総監が路上で解放戦線の捕虜を拳銃で即決処刑した様子がマスコミによって世界に報道されるとアメリカや南ベトナムに対する非難が高まります。戦争はもうすぐ終わると聞かされていたアメリカ国民は戦争終結の見通しが全く立っていないことを知りました。テト攻勢は戦術的には失敗でしたが、戦略的には成功しアメリカを追い詰めます。

ベトナム反戦運動

ベトナム戦争が長期化するなか、戦争の悲惨な様子がテレビを通じてアメリカ国民に知られるようになりました。この様子を見てアメリカの学生の中から反戦集会を開くものが現れます。

カリフォルニア大学バークレー校やコロンビア大学・ハーヴァード大学でも反戦運動が開催。反戦運動は全米に拡大しました。68年のテト攻勢以後、運動は勢いを増します。

その要因の一つに学生の徴兵免除がなくなったこともあるでしょう。学生たちにとって戦争はテレビの中の出来事ではなく、自分たちも参加する可能性がある現実的な出来事になったのです。

学生たちは政府から配布された徴兵カードを焼き捨てて抵抗の姿勢を示しました。戦争の長期化による財政悪化や貿易赤字、国内の反戦運動の高まりを受けてニクソン大統領は苦境に立たされます。

アメリカ軍の撤退と南ベトナムの崩壊

1972年、ベトナム戦争終結のチャンスを狙っていたニクソン大統領は中国を電撃的に訪問。加えてソ連も訪問し大国間での話し合いを加速させます。北ベトナムの後ろ盾となっている中国やソ連との関係改善をはかるためでした。

その間、少しでも有利な条件を勝ち取るためアメリカ軍は激しい攻撃を実行します。ついに1973年、パリでベトナム和平協定が結ばれました。内容は、ベトナム戦争の停戦、アメリカ軍の撤退、南ベトナムでの政治的対立の解消、捕虜の解放などです。

1973年3月、協定に基づきアメリカ軍は順次帰国。南ベトナム政府だけが取り残されました。和平協定成立後も南ベトナムと解放戦線の戦いは継続。そして、1975年4月、南ベトナムの首都サイゴンが陥落します。南ベトナム政権は崩壊しベトナム戦争の終結と南北統一が達成されました。

アメリカ初の敗北はアメリカ社会に大きな影響を与えた

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ベトナム戦争は大国アメリカが初めて経験する挫折でした。それまではアメリカが参戦選した戦争では、参戦=勝利だったのですから、衝撃の大きさが想像できます。ベトナム戦争後、社会になじめない帰還兵や戦争中に覚えてしまった麻薬の蔓延などベトナム戦争の負の遺産はアメリカ社会をむしばみました。

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