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世界の七不思議とは何?古代の人々の「憧れの観光スポット」だったって本当?

学校や特定の観光地などに伝わる不思議な景観や現象を集めて「〇〇の七不思議」などと呼ぶことがあります。例え些細なことだったとしても「七不思議」と言われると、がぜん興味が増すというもの。魅力的な「七不思議」というこの言葉、その起源は古典古代の「世界の七不思議」から来ています。では「世界の七不思議」とは?今回の記事では、およそ2200年前に列挙されたと言われる「世界の七不思議」をご紹介します。

「世界の七不思議」とは「見ておくべき世界の七つの景観」だった?!

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「〇〇の七不思議」は世界各地に多々あれど、「世界の七不思議」と呼ばれるものはただ一組。以下に挙げる7か所の建造物のことです。これらは紀元前2世紀ごろに活躍した古代ギリシャの学者であり旅行家であったフィロンという人が書き記した「世界の七つの景観」という文書の中で紹介されたもの。もともとは「見るべきもの」「眺めるべきもの」という意味でしたが、長い歳月を経て英語で「Seven Wonders of the World」と訳されるようになります。日本ではややオカルト的な印象を受ける「世界の七不思議」ですが、もともとは旅行家が「一生に一度は見ておきたい素晴らしい建造物」だったのです。

現存する唯一の世界七不思議「ギザの大ピラミッド」

フィロンが挙げた「世界の七つの景観」のうち、現在、実際に見学することができるものは、エジプトに残る「ギザの大ピラミッド」ただひとつだけ。クフ王が建設したとされる、アフリカ北東部を流れるナイル川の中流域の都市・ギザに残る、世界最大規模の巨大ピラミッドです。

高さおよそ138m、底辺およそ230m。四角く切り出した、重さ2トン以上もある石灰岩を270万個以上積み上げ作り上げられた巨大な建造物。現在は階段状になっていますが、昔は表面が平らかで、太陽の光を浴びて黄金に輝いていたのだそうです。

古代の旅行家が感動し書き記した巨大建造物は、現代の人々をも魅了し続けています。

わずかな痕跡が残る「エフェソスのアルテミス神殿」

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トルコ共和国の西部、エーゲ海にほど近い地域。ここはかつて、ギリシャ神話の女神・アルテミスを崇拝する古代都市・エフェソスがありました。紀元前7世紀~期限3世紀頃、ここにアルテミスを奉った大理石の巨大な神殿があったと言われています。

現在では、残念ながら、緩やかな丘陵地帯に柱の痕跡などがわずかに残るのみ。エフェソスはもともと湾岸都市として栄えた街でしたが、8世紀頃、ペルシアやアラブ勢力の影響や地形の変化などから港町としての役割を果たせなくなり、その後およそ1000年の間、建造物が保全されることもなく、忘れられた存在となっていました。

フィロンも自身の文書の中で「天上世界が地上に置かれている」と形容。今はもう何も残っていませんが、古代ギリシャやローマ帝国の繁栄を象徴する壮大な建造物があったと考えると、感慨深いものがあります。

廃墟と化した「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」

現在のトルコ共和国にはもうひとつ、世界の七不思議に属する場所があります。エーゲ海を間近に望むトルコ南西部。3000年以上も昔、この地にカリア国と呼ばれる古代国がありました。かつてその首都・ハリカルナッソスに建てられていた巨大建造物が「マウソロス霊廟」です。

マウソロスは紀元前4世紀頃のカリアの王。霊廟はマウソロス王とその妻アルテミシアのために造られたものでした。ギリシャ人の著名な建築家や彫刻家たちが設計や施工に加わって、当時の技術の粋を集めて建てられた王墓。しかし長い歳月を経て、異国の侵攻や自然災害などが重なり、現在では建物の土台や柱の痕跡が残るだけの廃墟となってしまっています。

伝説?実在した?「バビロンの空中庭園」

「空中庭園」というとオカルトチックに聞こえますが、実際には宙に浮いているわけではなく、高台(高層建築)の上に築かれた屋上庭園のこと。あまりの高さに「空中庭園」と呼ばれるようになったと考えられています。

バビロンとはメソポタミア地方のとある地域(現在のイラクの首都バグダード近郊と思われる)に、紀元前3000年頃から紀元前3世紀頃まで存在していたとされる古代都市。ユーフラテス川流域に遺跡がありますが、その全容は多くの謎に包まれています。

荘厳な神の姿「オリンピアのゼウス像」

ギリシア半島南部にかつて存在していた古代都市オリンピア。紀元前8世紀頃から、古代オリンピックが行われていた場所として知られるこの場所に、全知全能の神ゼウスの彫像が築かれていたといわれています。

ゼウス像は紀元前435年、古代ギリシアの著名な彫刻家・ペイディアスによるもの。同時期に建造された神殿の奥に造られたと考えられており、金や宝石など希少な素材をふんだんに使った巨大な像であったのだそうです。ギザのピラミッドなどとともにフィロンが七不思議に挙げているところからも、相当壮大な像であったと想像できます。

巨大なゼウス像は時の権力者たちを魅了したのかもしれません。紀元後394年、東ローマ帝国の都(現在のトルコ・イスタンブール)へ移されますが、その後の消息は不明。おそらく長い歴史の中で焼失したものと考えられています。

現代建築技術をも凌ぐ「ロードス島の巨像」

世界の七不思議としてフィロンはもうひとつ、巨大な像を挙げています。ギリシャ半島の南東、エーゲ海に浮かぶロードス島(ロドス島と表記することもあり)の巨像です。

紀元前3世紀頃に築かれたとされているロードス島の巨像はギリシャ神話の太陽神へーリオスをかたどったものであり、その高さは34mにも及んだといわれています。台座まで含めるとおよそ50mにもなったとか。鉄製の骨組みを銅板で覆って作られたと推測されており、そう考えると今から2000年以上も昔に、すでに自由の女神に匹敵する像を築く技術があったということになります。

しかし紀元前226年に発生した大地震により像は倒壊。神をかたどった像など作ったがために神々の怒りに触れたと考えた人々は像の再建を断念し、その後数百年の間に像の素材となっていた青銅などはすべて持ち去られ売却されてしまったのだそうです。

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