- オイルショックは遠くなった(オイルショックによる現象)
- 何故、トイレットペーパーがスーパーの店頭から無くなったのか
- 日本で終戦後以来の高い物価上昇
- オイルショックは初任給の高騰につながった
- 日本の高度経済成長時代は終わった
- なぜオイルショックは起こったのか
- そして原油は急騰した
- 列島改造論による不動産価格の高騰と石油価格上昇のダブルパンチ
- オイルショックによって何が変わった?
- 石油価格の暴騰によるオイルマネーの発生
- オイルマネーによる国際為替の波乱要因は貿易立国の日本を苦しめる
- ガソリン価格の上昇は日本の車の対米輸出増につながった
- ニクソンショックとオイルマネーによる国際為替市場へのオイルダラーの流入
- 石油による環境への影響_地球温暖化へ
- オイルショックの背景のパレスチナ問題からテロリストが生まれた
- イスラエルに敗れたアラブ諸国は戦争を諦めるが、一部がテロリスト化
- テロリストの拠り所となったイスラム原理主義の発生
- イスラエルを支援する欧米諸国に対するテロリストの反撃
- すべてはイスラエル建国から始まった
- オイルショックは今もさまざまな影響を残している
この記事の目次
オイルショックは遠くなった(オイルショックによる現象)
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1973年末に、スーパーなどには主婦がトイレットペーパーを求めて我先にと詰めかけていたのを覚えている方も少なくなりました。皆さん、どこの店に行っても、置いていなくて探し回ったものです。同時に、物価はどんどん上昇し、狂乱物価と言われました。ガソリン価格は、いつの間にか数倍にもなっていたのです。新聞には、「オイルショック」や「石油危機」の文字が処狭しと踊っており、明日への不安を書き立てていました。物価上昇は年率20%を越え、第二次世界大戦直後のハイパーインフレーションを除けば、このような物価上昇は、戦後生まれの人たちにはまさに狂乱物価が発生したと言えたのです。
すでに45年を経過して、このようなオイルショックの状況を覚えている方も少なくなっています。この20数年間日本の物価はほとんど動いていない状況で、日本銀行は、物価目標を2%として数年経ちますが、未だに達成していません。まるで、夢の彼方の出来事のように思えます。でも、オイルショックは現実に起こり、その影響は今もあちらこちらに残っているのです。
何故、トイレットペーパーがスーパーの店頭から無くなったのか
オイルショックでは、なぜトイレットペーパーが無くなったのか、疑問を覚えるかも知れません。トイレットペーパーの生産には大量の石油が必要になるのです。トイレットペーパーは、紙の原料になる木材を細かく刻んでから、それを煮込んでパルプを作ります。その煮込む作業には大量のエネルギー源が必要になり、石油に依存していたのです。その頃の石油価格は、現在の1/20近い価格で、アメリカなどの大型自動車などは、燃費を気にせずになんぼでも乗っていました。
しかし、第4次中東戦争が始まり、産油国にその影響が出たことによって、石油価格は大きく上昇し、世界的にいわゆるオイルショックが生じたのです。
日本で終戦後以来の高い物価上昇
当時の石油に対する依存度は、現在よりも圧倒的に高かったのです。産業界でも、化学繊維、プラスティック製品、パルプ産業など、石油に依存する産業はたくさんありました。高度経済成長時代には、石油コンビナートが各地に立ち並び、四日市喘息などの公害を引き起こしてもいたのです。それらの産業は、石油価格が安かったこともあり、大きく発展し、高度経済成長を支えていました。そのために、石油価格上昇のダメージは大きく、より物価を押し上げたのです。
オイルショックは初任給の高騰につながった
物価の上昇は20%を越え、それは賃上げに波及し、当時の大学卒業者の初任給は、6万円台から9万円台にまで上昇したのです。このため、採用数は大きく低下し、それまでの新卒の青田買いと言われた時代は終了しました。ベースアップも30%近くあり、現在では考えられないことが起こっていたのです。
日本の高度経済成長時代は終わった
同時に、1956年以来続いてきた日本の高度経済成長時代も終焉を迎えたのです。アジアの奇跡と言われた日本の経済成長は一時的にマイナスに陥り、以降回復しても安定成長と言われ、高度経済成長時代に戻ることはありませんでした。ただ、それでも5~6%の経済成長率は確保できたのです。それは、まだまだ、日本の人口は増加していたからであり、現在のように、2%の経済成長率でも喜ぶ時代ではありませんでした。
なぜオイルショックは起こったのか
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オイルショックが起こった直接の原因は、やはり当時起こった第4次中東戦争にありました。
1948年に、アメリカとイギリスの主導のバルフォア宣言に基づいて、当時のパレスチナにイスラエルが建国されたのです。そのイスラエルは、ユダヤ人の入植者が増えるに従い、当初の地域から領土をどんどん広げ、入植地としていきました。それに対して、アラブ諸国の不満が爆発して、中東戦争が始まったのです。イスラエル建国を主導したアメリカ、イギリスはイスラエルを支持し、近代的武器を提供したために、中東戦争はいつもイスラエルが勝利していました。そして、アラブ諸国との戦争は、産油国にまで戦禍が及ぶようになり、石油生産施設が破壊されたことから、石油価格は一気に上昇したのです。
そして原油は急騰した
当時はまだOPEC(石油生産国機構)は発足して日が浅く、石油生産量のコントロールをすることができなかったことから、原油価格の抑制が効かず、上昇したのです。このため、各国は、石油に依存する生産構造の変革を強いられますが、簡単には変えることはできず、石油価格は高値を維持し、元に戻ることはありませんでした。