アクティウム海戦の背景
紀元前44年3月15日。ライバルを倒し、ローマ共和国で独裁権力を手にしていたユリウス・カエサルがなくなりました。カエサルの死後、養子のオクタウィアヌス、部将のアントニウスとレピドゥスの3人が第二回三頭政治を結成。カエサル暗殺を指示した元老院派を粛清します。レピドゥスの失脚により第二回三頭政治が崩壊した後、東方に根拠地を定めたアントニウスは、エジプト女王クレオパトラと手を組みローマにいたオクタウィアヌスとの対決姿勢を強めました。
カエサルの死
紀元前49年、元老院最終勧告を無視したカエサルはローマに侵攻。有力武将のポンペイウスや彼を支持する元老院派を打ち破り絶対的な権力を手にしました。ポンペイウスがエジプトで謀殺されると、旧ポンペイウス派を各個撃破し、権力基盤を固めます。
紀元前46年、ローマに帰還したカエサルは豪壮華麗な凱旋式を挙行。ローマの内戦を終結させ、平和をもたらした人物として市民にアピールします。カエサルは機能不全に陥っていたローマを立て直すため、終身執政官に就任しました。
カエサルの独裁政治が王政につながるのではないかと心配した元老院派は、カエサル暗殺の機会を狙います。紀元前44年3月15日、カエサルは元老院の議場でブルータスら共和主義者によって暗殺されてしまいました。
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第二回三頭政治と元老院派の粛清
カエサルの死後、彼の遺言状が公表されました。その内容は周囲の人を大いに驚かせます。カエサルが後継者として指名したのはわずか18歳の無名の若者でした。彼の名はオクタウィアヌス。カエサルの死を知り、オクタウィアヌスは急ぎローマに戻ります。
カエサルの遺言状に露骨な反発を見せたのがカエサル配下の勇将アントニウスでした。アントニウスはオクタウィアヌスに渡すべきカエサルの遺産を差し押さえ、露骨に遺産相続を邪魔します。
しかし、カエサルの死によって勢いづいた元老院派に対応する必要が生じると、アントニウスとオクタウィアヌスは一転して妥協。もう一人の部将レピドゥスを引き込んで第二回三頭政治を開始します。同時に、三頭政治派は元老院派とギリシアのフィリッピで戦い、これに勝利しました。
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レピドゥスの失脚と第二回三頭政治の終わり
三頭政治成立後もオクタウィアヌスとアントニウス派の争いが起きました。元老院派との戦いの戦後処理でオクタウィアヌスの配下の兵士が不満を抱くと、これを好機とみてアントニウスの弟と妻がオクタウィアヌスと敵対。オクタウィアヌスに撃破されます。
三頭政治が成立すると、アントニウスは経済的に豊かな東方を、レピドゥスは北アフリカを、オクタウィアヌスははローマを含む西方を担当しました。経済力だけでいうならアントニウスが圧倒的に有利ですね。
オクタウィアヌスとレピドゥスは西地中海で力を持っていた元老院派の残党を一緒に討伐しせん滅することに成功しました。共通の敵を葬ったオクタウィアヌスとレピドゥスは対立します。先手を打ったオクタウィアヌスはレピドゥスの部下を買収しレピドゥスを失脚させました。これにより第二回三頭政治は終わります。
アントニウスとクレオパトラ
東方を担当していたアントニウスは、ローマの宿敵パルティアと戦おうとしていました。アントニウスが東方を希望した理由の一つは、パルティアとの戦争に勝利することで自分の立場を優位にしようとしたからです。
ところが、パルティアは強兵の国。アントニウスによるパルティア遠征は無残な失敗に終わってしまいました。
すっかり意気消沈したアントニウスを慰めたのがエジプト女王のクレオパトラ。彼女はアントニウスを利用することでエジプト王国の領域を拡大しようともくろみます。
すっかりクレオパトラのとりことなったアントニウスは、ローマが支配する東方領土や他の君主の領土までエジプトに与えてしまいました。
カエサルの愛人となり、カエサリオンという子供をもうけていたクレオパトラは、アントニウスを手駒にすることで東方世界の覇権を息子に与えようとしたのかもしれません。
アクティウムの海戦の経緯
ローマの領土をかってにエジプト女王クレオパトラに与えるなど、外交的な失策が目立つアントニウス。それに対し、西方での支配権を確実に固めたオクタウィアヌスはアントニウスを篭絡するクレオパトラに対して宣戦を布告します。オクタウィアヌスとアントニウスはギリシア西岸のアクティウムで激突。古代史上まれにみる大海戦を行いました。
アントニウスとオクタウィアヌスの対決
元老院派の残党に勝利し、ライバルとなったレピドゥスの排除にも成功するなど、着実に基盤を固めるオクタウィアヌス。それに対し、東方を担当したアントニウスは失策の連続でした。
パルティア遠征の失敗もそうですが、エジプト女王クレオパトラに肩入れしすぎて東方のバランスを崩してしまったのはアントニウスの大失敗といえるでしょう。
しかも、アントニウスはオクタウィアヌスの姉であるオクタウィアという正妻がありながら、「エジプト女」であるクレオパトラに骨抜きにされていました。ローマの市民からすると、おなじローマ市民であるオクタウィアを冷淡に扱うアントニウスの所業は許しがたいものとうつったことでしょう。
市民の支持を失い、かつての武勇にもかげりが見えるアントニウスの様子を見て、相手の失策に乗じるべきだと考えたオクタウィアヌスは決戦を挑むことにしました。