オクタウィアヌスの海軍を率いた勇将アグリッパ
政治家としては非常に非凡な才能を持つオクタウィアヌス。ところが、軍事的な才能となるとアントニウスにはるかに及びません。戦闘経験の差もありますが、オクタウィアヌス自身が虚弱で、しばしば腹痛を起こしてしまいます。
カエサルもオクタウィアヌスに軍事の際がないことは見抜いていたようで、軍事的な才能を持つ青年をオクタウィアヌスの側近としました。その人物はアグリッパといいます。
オクタウィアヌスがカエサルの後継者となると、彼にかわって軍団の指揮を執りました。元老院派の残党との戦いでは海軍を率いて勝利します。
アグリッパは陸戦が得意な指揮官が多いローマ軍の中では珍しく、海戦が得意な将軍でした。アントニウスとの決戦に当たって、オクタウィアヌスは当然、アグリッパに軍の指揮権をゆだねます。
アクティウムの海戦の開始と結末
オクタウィアヌスは、元老院を通じてエジプト女王クレオパトラに対して宣戦を布告します。これは、アントニウスに宣戦布告するとローマ人同士の内乱になってしまうからでした。外敵エジプトを討つ戦いとすることで、同胞と戦うという意識を薄くするのが狙いです。
アントニウス率いる軍はギリシア西海岸のアンブラキア湾に集結。それを知ったアグリッパは湾の入り口を封鎖し、アントニウス軍への包囲を完成させました。
包囲を突破しようとするアントニウス軍と、それをさせまいとするオクタウィアヌス軍。両軍は激しく戦います。
戦いの行方がいまだ定まっていない状況で、アントニウス軍の一部(クレオパトラの直属部隊)が戦場を勝手に離脱しアレクサンドリアめがけて退却。しかも、総司令官のアントニウスがクレオパトラを追って戦線離脱してしまいました。その結果、残された将兵は戦意喪失。皆、降伏してしまいました。
アクティウム海戦後の動き
アクティウム海戦で敗北し、すべてを失ったアントニウスは前途に絶望し自殺します。抗うすべを失ったクレオパトラも毒蛇に自らを咬ませて自害しました。オクタウィアヌスはエジプトを征服。元老院はオクタウィアヌスにアウグストゥス(尊厳者)の称号を贈りました。アウグストゥスは形の上では元老院を尊重しますが、実質的な権力は皇帝が握る元首政を創始します。
アントニウスとクレオパトラの死
戦場を離脱したアントニウスは、クレオパトラが自害したとの知らせを受けます。戦いに敗れ、軍団と名声のすべてを失ったアントニウスはクレオパトラの死の知らせを聞いて心の支えを失ったのでしょう。自ら死を選びました。
ところが、クレオパトラは自害していませんでした。アントニウスが聞いたのは誤った情報だったのです。自らの手で瀕死の重傷となったアントニウスはクレオパトラのもとに運ばれました。そして、最後は愛するクレオパトラの腕の中で息を引き取ります。
クレオパトラはエジプト女王として、迫りくるオクタウィアヌスと最後の交渉を試みました。しかし、オクタウィアヌスにクレオパトラに譲歩する必要はかけらもありません。彼女の交渉は失敗。クレオパトラもまた、自ら死を選びました。その最後は、毒蛇に自らを咬ませるものだったと伝えられます。
アウグストゥスの称号
紀元前29年、オクタウィアヌスは勝利者としてローマに帰還します。ローマにもどったオクタウィアヌスはプリンケプス(市民の第一人者)となりました。かつて、元老院の筆頭という意味でつかわれたプリンケプスは、皇帝を意味する言葉へと変化します。
紀元前27年、オクタウィアヌスは突然、共和制への復帰を宣言しました。元老院議員たちはオクタウィアヌスの申し出を歓呼の嵐で迎えます。しかし、その内実はというと、執政官や軍への指揮権など重要な部分は依然としてオクタウィアヌスが独占するというもので、かつての共和制が復帰するようなものではありません。
それでも、元老院はオクタウィアヌスが王にならずに元老院を尊重する姿勢を示したとして喜びます。元老院は全軍の指揮権を意味するインペラトルの称号と、国の全権を掌握する人を意味するアウグストゥスの称号をオクタウィアヌスに贈りした。これにより、ローマでは元首政がはじまります。
アウグストゥスが始めた元首政とは
オクタウィアヌスは一度として自ら王や皇帝と名乗ったことはありません。オクタウィアヌスにとって、王や皇帝と名乗ることはローマ市民や元老院から憎悪されるというデメリットのほうが多い行為だったからにほかなりません。
では、彼が始めた元首政とはいったいどのようなものだったのでしょうか。ローマ軍の指揮権、インペラトルはプリンケプスつまり皇帝にあります。エジプトをはじめとする重要な属州や外敵と隣接する属州は皇帝直属州とされました。それ以外の比較的統治しやすい州を元老院が担当します。
その一方、執政官や護民官など共和政時代の官職はそのまま残しました。実態は皇帝にすべての権限を集中させていても、ぱっとみではそれに気づかない巧妙な仕組みです。
ストレートに皇帝と名乗ると、カエサルのように暗殺されるかもしれないと考えたからでしょう。やはり、政治の方法論に関してアウグストゥスは一流だったといえるでしょう。