フリードリヒ2世ってどんな人?
ドイツの歴史では欠かせることができないフリードリヒ2世。しかし、このフリードリヒ2世という人はなんと2人いることをご存知でしょうか?
実はフリードリヒ2世というのは称号みたいなもので、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世とプロイセン国王フリードリヒ2世が存在していました。
果たしてこの2人のフリードリヒ2世はどのような人生を歩んでいったのでしょうか?今回は2人のフリードリヒ2世を見ていきたいと思います。
新しい国家を作るんだ!「王座上の最初の近代人」フリードリヒ2世
13世紀に神聖ローマ帝国皇帝の座に君臨していたフリードリヒ2世。
フリードリヒ2世は中世ヨーロッパの君主とは思えないほどの先進的な考えを持っており、ヨーロッパ初の近代的な君主と呼ばれることもしばしば。しかし、そんな新しい考え方を持っていたからなのかこの当時のヨーロッパの絶対的権力である教皇との争いに巻き込まれることになるのです。
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フリードリヒ2世の生い立ち
フリードリヒ2世は1194年にイタリア中部のイェージにて神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世とシチリア王女コンスタンツェの間に生まれました。神聖ローマ帝国はこの当時イタリア遠征を行っている真っ最中で、父であるハインリヒ6世はシチリア島を支配したばかりでした。
フリードリヒ2世はそのためハインリヒ6世がなくなるとその相続を行いドイツからイタリアにかけての広大な領土を手に入れることになるのですが、このことをめぐって対立が勃発。
最終的に教皇インノケンティウス3世が仲裁に入って無事にフリードリヒがシチリア王となりました。
フリードリヒ2世神聖ローマ皇帝となる
こうしてフリードリヒがシチリア王となりましたが、神聖ローマ帝国は世襲制の帝国ではなく諸侯の支持を受けて皇帝になるシステムだったため度々後継争いが起こっていました。
フリードリヒが神聖ローマ皇帝になったときも例外ではなく、フリードリヒがローマ王位を継ぐことを恐れたインノケンティウス3世はオットーの戴冠式を強行。これによってフリードリヒとオットーの間で後継ぎ争いが起こってしまい、神聖ローマ帝国は一時期内乱が起きることになります。さらにはオットーがこれに乗じてイタリア半島の支配を目論み、教皇領とシチリアに侵攻し、インノケンティウス3世は報復として彼を破門。神聖ローマ帝国は大混乱に陥ることとなります。
そのためインノケンティウス3世とドイツ諸侯たちは教皇との対立を深めているオットーではなく、フリードリヒを神聖ローマ皇帝にするべきだということとなり、フリードリヒは神聖ローマ皇帝に即位。フリードリヒ2世として神聖ローマ帝国を束ねる存在となったのでした。
シチリアの立て直し
フリードリヒ2世がホームグラウンドとしたのはシチリア島。神聖ローマ帝国は基本的にはドイツにあるのですが、フリードリヒ2世はシチリア島と南イタリアの開発に乗り出していくこととなりました。中世ヨーロッパでは王様というのは諸侯のトップという意味合いが強かったのですが、フリードリヒ2世はシチリアにおいて絶対王政的な政治体制を築き上げていき、貴族の特権をなくしていくことにします。
さらにはキリスト教の守護者の立場でありながらイスラム教徒に対して新しく自治を認めるなど宗教という概念に引っ張られずに本当に有能な人を登用していくようになりました。
十字軍の指揮
フリードリヒ2世の最大の功績といえば第6回十字軍でしょう。
フリードリヒ2世はキリスト教なんぞどうでもいいと感じていたそうですが、これを教皇グレゴリウス9世は不満に思いフリードリヒ2世を破門に追い込ませます。
破門されたらしょうがないと仕方なくフリードリヒ2世は神聖ローマ皇帝として十字軍を結成。しかし本当に戦争なんてする意味はなかったと感じていた彼はサラディンたちと交渉に交渉を重ねてなんとエルサレムを無血開城させることに成功。第6回十字軍は戦争が起こらずに終結したのです。
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中世に生まれた近代的君主
フリードリヒの治めたシチリア王国は中世はなかったシステムを持っており、宗教にとらわれずに貴族と市民が政治に参加する様子はまさしく近代国家の先駆けと言ってもいいかもしれません。
しかし、そんな先進的な考えを持っていたがゆえに問題も引き起こすようになっていき、皇帝がシチリアを治めていたことによって神聖ローマ帝国内では領邦たちが勝手に政治を行なっていくようになってしまいます。
さらには教皇との仲も良くなる事はなく、神聖ローマ帝国内では教皇派のゲルフと皇帝派のギベリンで争うことに。
さらにはフリードリヒ2世が死んだのちには後継者かわ現れずフリードリヒ2世の出身であったホーエンシュタウフェン朝は断絶。神聖ローマ帝国は大空位時代に突入することになります。