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ドイツを変えた2人の国王「フリードリヒ2世」をわかりやすく解説

フリードリヒ2世とジャガイモ

今でこそドイツの主食になっているじゃがいも。このじゃがいもをドイツの主食とさせたのがフリードリヒ2世でした。

フリードリヒ2世は、寒冷でやせた土地でも生育するジャガイモの栽培を奨励。

ジャガイモを食べる事で農産物の生産高を高めようとしたのです。しかし、ジャガイモは魔女の野菜と言われるぐらい外見が嫌われていました。そこでフリードリヒ2世はジャガイモを食べて普及を積極的に行っていき、いつしかドイツ料理の主食にまでなったのです。

七年戦争のはじまり

こうしてオーストリア継承戦争はプロイセンの勝利に終わりましたが、平和な日々は長くは続かず、オーストリアのマリア・テレジア再びプロイセンに対して戦争を仕掛けていくようになります。さらにマリアテレジアはこれまで長年にわたって敵対してきたフランスと手を結び、さロシアとも同盟を締結。フリードリヒ2世を窮地に立たせることに成功。

これに対してフリードリヒ2世は母方の叔父であるイギリス王ジョージ2世の縁もあってかイギリスと同盟を結ぶことに成功しますが、三方面から囲まれることとなります。

こうして窮地に立たされたフリードリヒ2世は先制攻撃を決意。ザクセン王国に侵攻を開始して1756年に七年戦争が始まることになったのでした。

苦境に追い込まれるフリードリヒ2世

こうして始まった七年戦争でしたが、前のオーストリア継承戦争とはわけが違い今度の戦争はフランス・ロシア・オーストリアを同時に相手にしなければならないという絶望的な状況。

さらには味方であったイギリスもフランスとの戦争に忙しく軍資金の援助が精一杯。プロイセンはシュレジェン獲得から一転滅亡の危機に追い込まれてしまったのです。

最初は奇襲作戦による形勢逆転を狙っていましたが、コリンの戦いで大敗北を喫してしまったのちは徐々にジリ貧状態に。

フリードリヒ2世は懸命に戦争に敗北した後も残存兵力をまとめてどうにか態勢を立て直していくのですが多勢に無勢大軍には敵わずプロイセンの首都であるベルリンに迫るまでとなってしまいます。

もはやベルリンは陥落寸前の状態となってしまったプロイセン。フリードリヒ2世は生きる希望を失ってしまい、この時の書簡にて「これを書いている間にも味方はどんどん逃げている。私はもうプロイセン軍の主人ではない。全ては失われた。祖国の没落を見ずに私は死んでいくだろう。永久に。アデュー」と書くほど死を覚悟していたんだそうです。

女性を敵に回すのもほどほどに

フリードリヒ2世の最大の特徴はなんといっても女性が大嫌いだったという事。フリードリヒ2世は度々国王の妻などを徹底的に馬鹿にすることもしばしばありました。

例えば平民出身であるフランスのポンパドゥール夫人には魚、マリア・テレジアは魔女など散々なもの。この結果彼女たちが単にフリードリヒ2世が嫌いになっていき、そして最終的には七年戦争で破滅の危機に追い込まれることになったのです。

女性を嫌うのもほどほどにですね。

最後の最後の逆転勝利

もはや万事休すかに思えた七年戦争。しかし、1762年にロシアのエリザヴェータ女帝が急死すると、甥で後継者のピョートル3世はこの土壇場にてプロイセンとの講和が成立。

実はピョートル3世はもともとドイツ出身。そのためフリードリヒ2世を尊敬しており、そんな人と戦いたくないという心情にあったんだそうです。とんでもない理由にて戦争から離脱したロシア。この結果東方の安全を確保することに成功し、七年戦争は一転プロイセンの優位に変わっていくようになります。

ロシアの仲裁にてスウェーデンが離脱。さらにはフランスも長引く戦争に嫌気がさしたり、植民地戦争で敗北したりするなど戦争どころではなくなり離脱。結果的には1763年にオーストリアとプロイセンは講和を締結。ここにシュレジェンは名実とともにプロイセンの領地となったのでした。

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