ローマ帝国の衰退とゲルマン民族の大移動
395年、ローマ帝国の西に居住していたゲルマン人たちは東方から攻め込んできたフン人たちに押し出されるようにしてローマ帝国領内に侵入します。ゲルマン人の大移動は、特に脆弱だった西ローマに大打撃を与えました。その後、ローマ帝国は東西に分裂、ゲルマン人たち西ローマを滅ぼし、旧西ローマ帝国領内に自分たちの国をつくります。
3世紀から4世紀のローマ帝国
3世紀、ローマ帝国では軍人出身者が皇帝となり、交替を繰り返しました。この時代を軍人皇帝時代といいます。軍人たちが皇帝位を左右する不安定な時代は50年近く続きました。
284年、軍人皇帝時代の混乱を収束させたディオクレティアヌスが即位します。ディオクレティアヌスは皇帝を神格化・絶対化する専制君主制を行い平和を回復しました。ディオクレティアヌスは広大なローマ帝国を一人の皇帝が統治するのは困難と考え帝国を四分割、それぞれの責任者を決めることで帝国を再建しました。
ディオクレティアヌスの引退後、後継者争いに勝ったのがコンスタンティヌスです。コンスタンティヌスは313年にキリスト教を公認するミラノ勅令を発布しました。さらに、都をローマから東方のコンスタンティノープルに移します。
ゲルマン人の大移動の始まり
ゲルマン人はヨーロッパ北部やスカンディナビア半島、バルト海周辺に居住していた人々です。彼らはローマ帝国とたびたび戦いますが、帝国への侵入を果たせずにいました。
4世紀後半、東方からやってきたアジア系騎馬民族のフン人がゲルマン人たちを圧迫します。370年頃、フン人たちはゲルマン人の一派である東ゴートを征服しました。この知らせを聞いた西ゴート人はローマ皇帝に移住許可を求めます。
ローマ皇帝は西ゴート人の願いを聞き入れ、帝国領内への移住を許可しました。しかし、ローマ領内に入った西ゴート人とローマ人が食料などをめぐって対立。西ゴート人とローマ帝国軍がアドリアノープルで戦います。結果は西ゴート人の勝利。西ゴート人はローマ領内に居住地区を獲得しました。
こうして、ローマ帝国の領内にゲルマン人たちが侵入し始めます。
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ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の滅亡
378年、西ゴートとの戦いで皇帝が戦死したことを受け、テオドシウスが即位します。テオドシウスは一時的に分裂していたローマ帝国を再統一しました。テオドシウスは帝国統一を維持するため、キリスト教を国教とします。
しかし、テオドシウスはローマ帝国全体を一人で統治するのはもはや不可能だと悟っていました。395年、テオドシウスは死の直前に帝国を二つに分割。息子のアルカディウスを東ローマ皇帝に、もう一人の息子のホノリウスを西ローマ皇帝に指名します。これにより、帝国は東西に分裂しました。
東ローマに比べ国力が劣る西ローマはゲルマン人たちの侵入になすすべがありません。451年、西ローマはフン人のアッティラ大王の攻撃を受けさらに衰退。476年、西ローマ帝国はゲルマン人の傭兵隊長であるオドアケルによって滅ぼされました。
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グレートブリテン島で王国を作ったアングロサクソン人
西ローマ帝国の崩壊と前後して、ゲルマン人たちが西ローマ帝国領内に続々と侵入。新しい国をつくります。ゲルマン人の一派であるアングロサクソン人は5世紀にグレートブリテン島に侵入し、7世紀に七つの王国(ヘプターキー)を建国しました。9世紀、七王国は統一されイングランド王国が成立します。11世紀、イングランド王国はノルマン人たちに征服されました。
アングロサクソン人とは
アングロ人(アングル人)、サクソン人、ジュート人は5世紀ころにドイツ北岸からグレートブリテン島に上陸します。
アングロ人はユトランド半島南部に、サクソン人は北ドイツ一帯に、ジュート人はユトランド半島北部に住んでいたゲルマン人の一派です。ジュート人はのちにアングロ人やサクソン人と同化してしまいました。以後、彼らのことをまとめてアングロサクソン人と呼びます。
彼らは混乱する西ローマ帝国領土の内、グレートブリテン島南部に目を付けました。西ローマ帝国は本拠地から遠いグレートブリテン島南部のブリタニア属州から撤退していたからです。アングロサクソン人たちはケルト系の原住民ブリタン人たちを征服して自分たちの国を作りました。
アングロサクソンの七王国とイングランド王国
グレートブリテン島に侵入したアングロサクソン人たちが作った小王国を七王国といいます。
アングロ人はイングランドの北東部にノーサンブリア王国、中央部にマーシア王国、南東部にイースト・アングリア王国を建国しました。サクソン人は、南東部にエセックス王国、南西部にウェセックス王国、南部にサセックス王国を建国。ジュート人は南東部にケント王国を建国しました。
このころ、イングランドには七王国以外にもたくさんの小王国が存在します。イングランドの諸王国を統一したのがウェセックス王エグバートでした。統一の背景には侵入を繰り返すノルマン人の存在があります。統一国家を作るべきだというアングロサクソン人の危機感がエグバートの統一を後押した側面もありました。