イギリスヨーロッパの歴史

覇権国(英米)のルーツ「アングロサクソン」を元予備校講師がわかりやすく解説

デーン人の侵入とノルマンコンクエスト

エグバートがイングランドを統一したころ、北方に住むノルマン人がグレートブリテン島に侵入を繰り返しました。

特にデンマークからやってくるデーン人たちはアングロサクソン人たちにとって脅威です。デーン人の攻撃はすさまじく、9世紀後半には七王国はウェセックス王国を除きデーン人に滅ぼされてしまいました。

876年、ウェセックス王アルフレッドはエサンドゥーンの戦いでデーン人たちに勝利。彼らの勢力をイングランド東北部に限定することに成功します。

しかし、その後もデーン人や他のノルマン人たちの侵入はやまず1016年にデーン王クヌートがイングランドを征服するに至りました。

その後、一時的にアングロサクソン人の王国が復活しますが、1066年、ノルマンディー公ウィリアムヘースティングズの戦いでアングロサクソン人に勝利。イングランドを征服しノルマン朝を開きました。ウィリアムによるイングランド征服をノルマンコンクエストといいます。

現代のアングロサクソン諸国

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アングロサクソン人の王国はほろびましたが、征服者であるノルマン人たちは徐々にアングロサクソン人に同化しました。現在、アングロサクソンという言葉は、英語を主要言語として使うイギリス系諸国といった意味で用いられます。現在のアングロサクソン諸国についてまとめてみましょう。

アングロサクソンの本国ともいえるイギリス

ノルマン人に征服されたイングランドはフランスとの百年戦争を戦い敗北。ヨーロッパ大陸に持っていた領土をほとんど失いました。

16世紀に成立したテューダー朝は宗教改革を断行し国王の権利を強めます。テューダー朝の最盛期を作ったのがエリザベス女王でした。

エリザベス女王の時代、イギリスは大国スペインにアルマダ海戦で勝利。積極的な海外進出を始めます。17世紀、イギリスでは市民革命が勃発し絶対王政が崩壊しました。その後、議会を中心とした政治が行われるようになります。

18世紀、イギリスは海外での植民地戦争に勝利し、世界各地を植民地として繁栄しました。この時代のイギリスは産業革命を成功させ広大な植民地を支配。経済的にも繁栄したため大英帝国ともいいます。

また、1707年にイングランド王国とグレートブリテン島北部のスコットランド王国が合同し、ほぼ現在のイギリスの形になりました。イギリスは第一次世界大戦前まで世界ナンバーワンの覇権国として君臨します。

20世紀に入り植民地を放棄せざるを得なくなり、経済的問題を抱えたイギリスはEUに加盟。しかし、国民投票の結果、EU離脱を決定しました。今後、イギリス人たちは国際社会とEUの理解が得られるような問題解決を模索することになるでしょう。

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