- 1.くじ引き将軍の誕生
- 1-1.足利義満の息子として生まれるも仏門へ
- 1-2.有力守護大名の存在で成り立っていた室町幕府
- 1-3.憤懣を覚えていく4代将軍義持
- 1-4.前代未聞!くじ引きで将軍となる
- 2.将軍親政を目論む義教
- 2-1.将軍就任後、強権をふるう
- 2-2.儀式の最中に笑っただけで所領を没収された公家
- 2-3.親衛隊を編成して武力強化を図る
- 2-4.比叡山延暦寺を武力で包囲!
- 3.もしかして精神疾患?些細なことで激怒する義教
- 3-1.説教をしようとした僧に焼けた鉄の鍋をかぶせる
- 3-2.料理がまずいという理由で料理人を斬首
- 3-3.些細なミスで侍女を追放する
- 4.義教はなぜ恐怖政治を敷いた?
- 4-1.実力が伴わなかった足利将軍
- 4-2.将軍権力が失墜しかかっていた
- 4-3.将軍親政が歴代将軍の願いとなった
- 4-4.将軍親政のために義教が考えたこと
- 5.将軍権力がますます拡大!暴走していく義教
- 5-1.悪化していく将軍と鎌倉公方の関係
- 5-2.永享の乱で鎌倉公方を滅ぼす
- 5-3.有力守護大名の家督問題に介入する義教
- 5-4.義教、嘉吉の変で討たれる
- 人を大事にしなければ、それは仁政とは言えない
この記事の目次
1.くじ引き将軍の誕生
まず足利義教の生い立ちから将軍就任までを探っていきましょう。武家は息子が多数いればいるほど家が繁栄するとされていますが、子供の数が多すぎても困りもの。特に足利氏のような高貴な家柄ほどその傾向が顕著でした。
1-1.足利義満の息子として生まれるも仏門へ
1394年に誕生した義教の父は、3代将軍として有名な足利義満でした。あの金閣寺を建立し、アニメ「一休さん」にも将軍様として君臨していたあのお方です。
といっても義教は5男でしたから将軍継承順位は最も下の方。どこか有力大名の養子にでもやれば良かったのでしょうが、義満はあえてそうせず息子たちを僧としました。
義教は青蓮院という寺院に入って義円と名乗ります。生来聡明な人物だったらしく、名家ということも手伝ってかメキメキと頭角を現して出世していきました。
「天台宗始まって以来の逸材」ということで25歳の頃には天台座主という高位にまで昇りつめ、武家とは違う世界で日常を過ごすうち、大きな才能を発揮していたのです。
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1-2.有力守護大名の存在で成り立っていた室町幕府
義円(義教)が仏門に入っていた頃、将軍職には兄の義持が就いていました。この義持という人物、かなり勝手気ままで天邪鬼な性格だったらしく、就任初期こそ積極的に政治に向き合っていましたが、徐々にその熱意を失っていきます。
少し脱線しますが、歴代の足利将軍は皆等しく政治に熱心になるものの、晩年になるにしたがいその情熱を失っていく人が多いように思えますね。
なぜなら室町幕府は【四職三管領】と呼ばれるように、有力守護大名たちが重要な役職に就いて合議制で政治が決まっていくシステムだったからです。
将軍の意向があったとしても結論は合議によって決まってしまうため、いくら将軍が「こうしたい」と考えても、彼らによって否定されてしまうことが多々ありました。
1-3.憤懣を覚えていく4代将軍義持
室町幕府という組織は、細川氏や畠山氏といった有力者の発言権が特に重視され、合議とはいうものの将軍はあらかじめ決められていた決定事項を承認するだけでした。
いわば将軍はお飾りであり、「そこに居さえすればいい」という存在だったといえるでしょう。そのため3代将軍義満以降の将軍たちは、徐々にその実権を奪われていったわけですね。
せっかく将軍になっても思い通りの政治ができない環境に義持は不満を覚えていました。息子の義量(よしかず)に将軍職を譲って自由に振舞おうと考えていたところ義量が急死してしまったり、命令を聞かない赤松氏を討伐しようと考えますが、周囲の重臣たちがこぞって反対したりと、憤懣やるかたない思いが積み重なっていきました。
1-4.前代未聞!くじ引きで将軍となる
1428年、重い病となった義持はひと月もせぬうちに危篤状態となり周囲の者たちが慌てふためきます。なぜなら次の将軍を決めない限り幕府は存続できません。なんとか小康状態となって持ち直した義持は次期将軍について驚くべきことを言い始めました。
「私が決めることではない。その方たちで決めればよいではないか。」
いくら翻意を求めても一向に考えを変えようとしない義持。自分の意向を無視して勝手に物事を決めてきた重臣たちへの当てつけの意味があったのではないでしょうか。
そこで致し方なく【くじ引き】で将軍を決めようとする前代未聞の事態となりました。義円を含む4人の弟たちの中で誰が将軍職を継ぐのか?日本の歴史が始まって以来なかった珍事となりました。
といっても石清水八幡宮のくじですから、そこで出た結果は【ご神託】と言っても差し支えありません。将軍が決めなければ神様にすがって決めるしかない。当時は本気でそう考えられていたのです。
義持の死後、くじが開封されます。その結果義円が後継者に定まり、彼は何度も辞退しますが諸大名が強く要請したため受けざるを得なくなりました。義円はこの時35歳。こうしてくじ引きによって選ばれた将軍が誕生したのです。
2.将軍親政を目論む義教
By Geneast – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
晴れて室町幕府第6代将軍に収まった義円は、名を義宣と改めていよいよ幕府政治に身を乗り出しました。彼が目指す政治体制とは?また就任直後から頭をもたげてくる狂気性や反動性とは何だったのか?探っていくことにしましょう。