古墳時代日本の歴史

尋常じゃない数!これはいったい何の穴?「吉見百穴」について歴史系ライターが解説

東武東上線東松山駅より東方向へ約1.5キロほどの所に「吉見百穴(よしみひゃくあな)」という岩肌にボコボコ穴が空いた場所があります。見た感じは昔の防空壕?それとも古代人の横穴式住居?と見まがうばかり。初めて見た方はおそらくびっくりするのではないでしょうか。そんな不思議な穴の秘密を今回解き明かしていきましょう。

まるでトライポフォビア!見た人の心をくすぐる穴の秘密とは?

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トライポフォビアとは、小さな穴や斑点の集合体による恐怖症のことで、「集合体恐怖症」とも呼ばれる現象です。ネットで検索すると閲覧注意な画像がどんどん出てくるのでお気を付けくださいね。とにかくトライポフォビアを連想させるほどの穴の集合体が吉見百穴なのですが、そもそもどのような意味のある穴なのでしょうか。

「吉見百穴」は古代の集合墓地

吉見百穴ができたのは今から約1300年ほど前だといわれていて、ちょうど6~7世紀の古墳時代の終わり頃だそうです。この辺りの地質は主に凝灰岩ですから、非常に脆いものだということがわかります。

凝灰岩は火山の噴煙による堆積物が押し固まってできたものですから、人力でも深い穴を簡単に掘ることができますね。すぐ近くにある戦国時代の城跡「松山城跡」も土の城ですから、非常に縄張りしやすかったものと思われます。

そんな掘りやすい地質の土地で古代人たちはなぜ横穴を掘ったのでしょうか?実は穴の一つ一つが墳墓(いわゆるお墓のこと)になっていて、亡くなった方をこの穴の中に安置して弔っていたのですね。

この時代はまだ埋葬という習慣がありませんから、古墳などと同じく「穴」を石室に見立てて葬ったものと思われます。

穴の内部はどうなっている?

穴の中を見ると思ったより深くは掘られていません。亡くなった方を埋葬する墓地ですから、あまり深く掘る必要がなかったのでしょう。

穴の内部は壁際にちょっとしたが設けられています。この段に死者を寝かせたわけですが、装飾品や金属器、土器なども一緒に安置されていました。これは死後の世界へ行っても生活に困らないようにと遺族たちが配慮したためでしょう。

中には段が複数ある穴もありますね。これは追葬といって、先に葬られた方の近親者が亡くなった場合、後を追うようにそこへ葬られていたことを意味します。追葬しやすいように穴の入り口には石の蓋が施され、後から出入りできるようになっていました。

なぜこんな集合墓地ができあがったのか?その謎に迫る

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吉見百穴は別名「日本のカッパドキア」とも呼ばれています。しかしトルコの世界遺産カッパドキアは洞窟式住居。かたや吉見百穴は集合墓地。よく似ているようで用途としては全然違います。なぜ吉見百穴のような集合墓地が現れたのか?その謎を解明していきますね。

中央集権国家「大和朝廷」の影響

古墳時代に数多く造られた古墳は、墳墓であると同時に権力と富の象徴ともいえる存在でした。時代が下るにつれて皇族や豪族たちの権力が増し、古墳も巨大化していきました。

ちなみに世界遺産に指定された仁徳天皇陵がなぜあれだけ巨大なものだったのか?それは瀬戸内海から大阪湾へ向かう船から見えるように築かれ、海外や地方からやって来る人々に天皇の権力を見せつける意図がありました。ですから「巨大な古墳を造れる人=偉い人」という図式がその当時に存在していたことを示しているのですね。

やがて大和朝廷が絶大な権力を握って全国各地に強い影響力を及ぼすようになると、大規模な古墳は築造されなくなっていきました。646年に発布された薄葬令によって墳墓の大きさが制限されるに及び、古墳時代も終焉を迎えたのです。

吉見百穴もそうした時代に生まれていますから、都から遠い関東平野といえども大和朝廷の影響力がかなり及んでいたことを意味します。この穴に葬られたのは地元豪族や渡来人たちだと推測されているため、明らかに大和朝廷を憚って集合墓地に仕立てたのでしょう。

日本へ伝来したばかりの仏教の影響

吉見百穴という集団墓地が現れたもう一つの理由が仏教の影響によるものという説も有力です。千葉県君津市の神野寺は推古天皇の頃に聖徳太子が建立したと伝えられていますし、埼玉県内では7世紀中頃にあったという寺谷廃寺も遺跡として残っています。仏教伝来は552年頃とされていますから、6~7世紀頃にはすでに関東地方にも仏教が伝播していたと考えられますね。

仏教伝来以前の日本の死生観は、いわゆる「祖先信仰」というものでした。人は死ぬと魂があの世へ行き、そして神となって子孫を見守っていくという存在になります。子孫たちは亡くなった祖先を崇め奉り、その霊魂を慰めました。亡くなった方に対して子孫が祭祀を続けることによって、あの世へ行っても平穏な暮らしが出来るものと考えられていたのですね。

ところが仏教の場合は違います。「浄土信仰」に代表されるように、人は死ぬと六道のいずれかに生まれ変わるという輪廻転生の死生観が基本です。古墳時代のようにあの世で暮らすための副葬品などは必要ありませんから、小さくてもきちんと弔うべき場所さえあればいいのですね。

そういった仏教への信仰心が広まっていったことも古墳が造られなくなった理由の一つともいえますね。だから吉見百穴という集団墓地が現れたのです。

吉見百穴へ行ったら見てみたい!見どころ3選

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ただ単に穴を眺めるだけではもったいないです。吉見百穴へ行った時に、是非とも見て頂きたいスポットがあります。そのいくつかをご紹介していきましょう。

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明石則実