ナポレオン戦争前のネルソン
By レミュエル・フランシス・アボット – National Maritime Museum website: Embedding web page: http://www.nmm.ac.uk/collections/nelson/viewRepro.cfm?reproID=BHC2889 Image: http://www.nmm.ac.uk/collections/images/560/BHC/28/BHC2889.jpg Full catalogue record: http://www.nmm.ac.uk/collections/nelson/viewObject.cfm?ID=BHC2889 The painting was published as early as 1898 in: Sladen, Douglas (1898). “The Nelson Centenary“. The Magazine of Art 22: p. 530. London, Paris, New York & Melbourne: Cassell and Company. Retrieved on 2010-01-15., パブリック・ドメイン, Link
1758年、イギリスのノーフォーク近郊にあるバーナム=ソープ村の教区牧師の子として生まれたネルソンは、若いころから海に関わる仕事をします。海軍軍人となったネルソンは艦長や分艦隊司令官を歴任しました。ネルソンは勇猛な指揮ぶりで知られた司令官です。そのため、戦場でも危険に身をさらすことが多く、ナポレオン戦争の前には片目と片腕を失いました。
若き日のネルソン
教区牧師の父は病気がちで、家計は非常に苦しいものでした。そのため、ネルソンは海軍で戦列艦の艦長をしていた叔父を頼って海軍に入隊します。このとき、ネルソンの年齢はなんと12歳。抜群の勇気を持つ性格だったことがわかるエピソードですね。
1777年、海尉昇進試験に合格し、翌年には艦長に就任します。1784年には艦隊の副司令官格として小アンティル諸島に赴任する機会がありました。カリブ海での任務が3年目に入った1787年、西インド諸島で知り合った未亡人のフランシス=ニスベットと結婚します。この時、ネルソンは29歳でした。
ネルソンが次に活躍するのはフランス革命が勃発してからのこと。それまでの間、ネルソンは大きな海戦などもなかったため、イギリス本国で雌伏の時を過ごします。
フランス革命の勃発と第一回対仏大同盟
1789年、フランスで革命が勃発しました。人権宣言を採択した国民議会はフランス王ルイ16世の王権を制限します。同年10月、食糧不足に苦しむパリの女性たちが国王夫妻を郊外のヴェルサイユからパリ市内のテュルリー宮殿へと連行しました。
国王は徐々に追い詰められていきます。このことに不安を感じたルイ16世と妻のマリ=アントワネットは妻の実家であるオーストリアへの亡命をはかりました。しかし、国境付近の街であるヴァレンヌで国王夫妻は発見され、パリに連れ戻されます。国民の中にあった国王尊重の気持ちは薄れました。
革命の実権を握ったロベスピエール率いるジャコバン派はルイ16世夫妻を処刑し共和政を宣言しました。革命の過激化に危機感を覚えた周辺諸国は第一回対仏大同盟を結成し、フランスとの戦争に踏み切りました。
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隻眼・隻腕の提督
フランスとの戦争がはじまると、ネルソンは戦列艦の艦長に就任。ふたたび、戦いの舞台に戻ってきました。
1794年におきたコルシカ島のカルヴィ攻略戦でネルソンは右目を負傷し右目の視力を失います。しかし、ネルソンはそれにめげることはありませんでした。
1797年のサン=ビセンテ岬の海戦では後方待機の命令を無視してスペイン艦隊に突撃。敵艦2隻を拿捕し、少将に昇進します。ところが、同年のテネリフェ島の攻略は失敗。上陸を指揮していたネルソン自身も負傷し右腕を失いました。
その結果、ネルソンは隻眼・隻腕の提督となります。トラファルガー海戦以前に隻眼・隻腕となっていたことは、日本ではあまり知られていないかもしれませんね。片目・片腕を失っても海に固執したネルソンはその後もナポレオン戦争を戦い続けます。
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ナポレオンの登場
ジャック=ルイ・ダヴィッド – histoire image: info pic, パブリック・ドメイン, リンクによる
1789年に始まったフランス革命は、旧制度を破壊します。新しく権利を得た市民や農民は革命が進むことよりも指導力を持った人物の登場を望むようになりました。そんな時に、彗星のごとく現れたのがナポレオン=ボナパルトです。ナポレオンはイタリア遠征に勝利して脚光を浴びました。その後、エジプト遠征をおこないますがナポレオンの前に立ちふさがったのがネルソンです。
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イタリア遠征の勝利
1796年、26歳だったナポレオンは総裁政府からイタリア遠征軍の司令官に任命されます。ナポレオン軍25,000はアルプスを越え、北イタリアに侵入しました。
ナポレオン軍を待ち構えていたのはオーストリア軍を中心とする70,000の大軍です。兵力差をものともせず、北イタリアのオーストリア軍を連破したナポレオン軍はオーストリアの同盟国であるサルデーニャを降伏させます。さらに、ロンバルディア地方やミラノなど北イタリアの重要都市を次々と占領しました。
オーストリアはこれ以上の戦闘継続は困難と判断し、ナポレオンとカンポ=フォルミオの和約を結びます。若き英雄の登場にフランス市民は沸き立ちました。イタリア戦争の勝利は、その後も続くナポレオン戦争の開幕を告げるものとなります。