イギリスヨーロッパの歴史

ナポレオンからイギリスを守った海軍提督「ネルソン」を元予備校講師がわかりやすく解説

エジプト遠征とアブキール湾の海戦

イタリア遠征に勝利したナポレオンは、総裁政府にオスマン帝国領となっていたエジプトへの遠征を提案します。ナポレオンがエジプト遠征を主張した理由は、敵対国であるイギリスとイギリス最大の植民地であるインドとの連絡を絶つことでイギリスを追い詰める狙いがありました。

当時、ネルソンは南フランスのトゥーロン付近を海上封鎖する任務に就いていましたが、ナポレオン軍の目的地がエジプトだとは想像できず、ナポレオン艦隊の出航を阻止することはできません。

1798年7月、エジプトの上陸したナポレオン軍はオスマン帝国の部隊をピラミッドの戦いで撃破します。しかし、ナポレオン艦隊を追いかけてきたネルソンはアブキール湾に停泊中のナポレオン艦隊を急襲。壊滅的打撃を与えました

第二回対仏大同盟の解散

1799年、ナポレオンのエジプト遠征に反発したイギリスはオーストリア、ロシア、オスマン帝国などと第二回対仏大同盟を結成します。イギリスはルイ16世の弟を国王として即位させようと画策しました。

一方、ネルソンによって艦隊を撃破されたナポレオンはエジプトでの長期滞在を余儀なくされます。

そのころ、ナポレオン不在の総裁政府は相次ぐクーデタ騒ぎで指導力を失いつつありました。フランス本国の状況を知ったナポレオンは極秘のうちにエジプトから帰国。1799年11月にブリュメール18日のクーデタを決行しました。

ナポレオンは総裁政府にかわって統領政府を樹立し、自ら第一統領に就任。一般的には、この段階でフランス革命は終了しナポレオン時代に移行します。

独裁権力を握ったナポレオンは直ちにオーストリアと交戦し大勝しました。オーストリアはリュネヴィルの和約を結ばされ、対仏大同盟から離脱します。唯一残ったイギリスもアミアンの和約でナポレオンと講和。第二回対仏大同盟は解散となりました。

トラファルガーの死闘

アミアンの和約後、終身統領となったナポレオンはヨーロッパ大陸で覇権を確立しようとします。一方、イギリスは1800年にマルタを占領したことから第二次武装中立同盟を結成されました。この同盟を打ち破るため、イギリス艦隊はデンマーク艦隊とコペンハーゲンの海戦を戦います。その後、ナポレオンはイギリスを屈服させるため、イギリス侵攻を計画。しかし、ネルソン率いるイギリス艦隊にトラファルガー海戦で敗北してしまいました。

コペンハーゲンの海戦

1800年、イギリスは地中海のマルタ島を占領し、支配下に置きました。このことに反発したロシア、デンマーク、ノルウェーなどは第二次武装中立同盟を結成します。ちなみに、第一次武装中立同盟はアメリカ独立戦争のときに結成されたものですね。

ナポレオンは武装中立同盟の一国であるデンマークに圧力をかけ、イギリスに挑戦させました。北海・バルト海での制海権を失うことを恐れたイギリス艦隊はデンマークの首都コペンハーゲンに停泊するデンマーク艦隊と戦います

陸上の砲台を装備し十分な備えを持つデンマーク艦隊から激しい攻撃を受けたイギリス艦隊は戦闘を停止しようとします。しかし、司令官の一人だったネルソンは戦闘停止命令を無視。それどころか、ネルソン艦隊はデンマーク艦隊に突撃。勝利はイギリス艦隊に帰属しました。

このとき、ネルソンは望遠鏡を見えていないほうの目に当て、「何も見えていない」といって戦闘を継続させます。コペンハーゲンの海戦で勝利したネルソンは子爵に封じられました。

ナポレオンの皇帝即位と第三次対仏大同盟

終身統領となっていたナポレオンはアミアンの和約後、国内政治の整備に力を尽くします。特に、法の下の平等や信仰・労働の自由、所有権の保護、契約の自由など多様な内容を定めたナポレオン法典の制定はフランス革命の集大成ともいえるものでした。

また、フランス革命後に悪化していたローマ教皇との関係を修復。カトリック信者が多いフランス国内を安定化させます。国内整備と国際的な安定などが国民から評価されたナポレオンは1805年にフランス皇帝に即位しました。

ナポレオンの動きに対し、またしてもイギリスがヨーロッパ各国を動かし、第三回対仏大同盟を結成しました。ナポレオンは敵対するイギリスを屈服させるため、イギリス上陸を計画します。

トラファルガー海戦のはじまり

1805年、ナポレオンはイギリスを屈服させるためフランス・スペインの連合艦隊を組織。イギリスによる海上封鎖の突破とイギリス上陸を目指しました。

度重なるアクシデントや悪天候に見舞われたフランス・スペインの連合艦隊はイギリス上陸を断念。その矛先を南イタリアのナポリに向けます。

この情報を得たネルソンを司令長官とするイギリス艦隊はフランス・スペイン連合艦隊を捕捉。トラファルガー沖で海戦となりました。

ネルソン艦隊は戦列艦27隻。一方の連合艦隊は33隻と数の上では劣勢です。しかし、訓練度や射撃速度はネルソン艦隊が優勢でした。ネルソンは旗艦ヴィクトリーから「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」という信号旗を掲揚します。

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