新しい古代遺跡とは?古代文明の常識を変える?
- 4大古代文明以外にも文明の発祥地はあった
- 考古学の新しい技術革新
- 古代神話は現実を反映しているとして発掘したシュリーマン
- トルコには1万年以上昔の古代文明遺跡が発見された
- ギョベク・テベ遺跡は衰退していった
- グラハム・ハンコックの「神々の指紋」が現実に
- 中南米にはインカ、マヤよりも古い古代文明があった
- アメリカ大陸の文明を形成した人々は?
- 超古代文明が南米でも存在した可能性はある
- 中国の古代文明は黄河流域だけではなかった_長江文明が明らかに
- 長江文明の衰退はなぜ起こった?
- 2万年前まで遡ると言われる古代文明インドネシアのグヌンバダン遺跡
- 具体的な発掘成果は驚くべきものだった
- 古代文明の常識はすでに壊れている
- 私たちは進化の頂点にいるとは限らない
- 古代文明は文明の衰退、滅亡を私たちに示している
この記事の目次
4大古代文明以外にも文明の発祥地はあった
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もともと古代の4大文明と言えば、教科書などでも、エジプト、現在のイラクのチグリス・ユーフラテス川流域、インドのインダス文明、中国の黄河文明のことでした。3つはアジアにあるのです。ここから現代の人類文明は発展、拡大していったと言われています。
また、中南米にはそれらと違った古代文明がありました。南米では、ペルーやチリのインカ帝国、パチャクテクが王になっていたプレインカと言われたクスコ王国、ナスカ地上絵などがあります。中米では、メキシコのマヤ、メキシコのテノチティトランに首都のあったアステカ都市文明がよく知られていますね。南米では、それらやさらに古い遺跡が、アンデス山麓に広く拡がり、コロンビア、エクアドルなどでも古代遺跡が点在しているのです。
しかし、最近の考古学の新しい発掘技術によって、それらよりももっと古い文明が発見されつつあるのが現実でしょう。衛星写真の高解像技術の発展や地中探査技術の発展によって、新しい古代文明についての情報が次々と明らかになりつつあります。
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考古学の新しい技術革新
衛星写真の高解像技術では、テレビで「こんなところに一軒家」などという番組があり、高解像衛星写真で見えた山奥の一軒家を訪ねる企画が話題になり、注目されていますね。考古学では、衛星写真の高解像技術だけでなく、地中に埋もれた遺跡までわかってしまう技術も開発され、それによって新しい遺跡が発見され、発掘に至っている例もあるのです。
古代神話は現実を反映しているとして発掘したシュリーマン
現代の4大文明や中南米文明は目に見える遺跡、すなわち、ピラミッドや廃墟跡などからわかってきた文明でした。目に見えていない遺跡はないとして、ギリシャ神話や旧約聖書に書かれた物語は、空想でしかないと古代史学者、考古学者は考えていたのです。古代の神々の領土の争奪戦。死闘、それらの戦いによる文明の衰退などは無視されていました。
しかし、19世紀末に考古学者のシュリーマンは、ギリシャ神話のトロイの木馬神話は架空の物語ではなく、遺跡が残っているはずだと発掘を繰り返しました。その末に、ついにトロイ遺跡を発見し、ギリシャ神話は架空の物語ではないことを証明したのです。それ以降は、神話や旧約聖書の物語と思われていた遺跡がいくつも見つかっています。
「ノアの方舟」についても、シュメールの楔形文字に同じような洪水伝説が残されているのです。発掘や地質調査などによって、中東地区では実際に大洪水が起きていたことがわかっています。
トルコには1万年以上昔の古代文明遺跡が発見された
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トルコでは、近年になってエジプト文明よりも倍以上古い古代遺跡、ギョベク・テベなどの遺跡が発見されています。ギョベク・テベは12,500年前からの遺跡です。それは、ちょうどヨーロッパでは氷河時代の揺り戻しと言われたヤンガードリヤス氷期の時代当たっています。巨大な石造りの神殿跡や離れた場所にある住居跡も発見され、それもエジプト文明よりも7,500年以上前に存在していたものだったのです。
ギョベク・テベ遺跡は、トルコのアナトリア高原にあるもので、8千年くらい前まで4千年ほど続いていました。なぜ、放棄されたのかはわかっていません。どのような支配体制だったのか、どのような勢力、人々がいたのかもわかっていないのです。まだ、発掘は5%程度と一部しかおこなわれておらず、今後更なる発見も考えられます。
ギョベク・テベ遺跡は衰退していった
しかも、注意すべきは、現在のところ、遺跡の構築技術は初期の技術が次第に衰えていっており、さらに最盛期の古い遺跡が出てくる可能性もあることです。氷河期が終わったのが、約1万8千年前でした。そのような時代から遠くない時代に古代文明があったとすれば、考古学における常識はくつがえり、新しい私たち現生人類、ホモサピエンスの歴史は見直さざるを得なくなります。また、さらに氷河期末まで生きていたとされるネアンデルタール人などと私たちホモサピエンスの関係も見直す必要があるでしょう。
グラハム・ハンコックの「神々の指紋」が現実に
このギョベク・テベ遺跡の発見の話を聞いて誰もが思い出したのは、かつて話題になったグラハム・ハンコックの「神々の指紋」という本です。彼は、エジプトのスフィンクスは、そのスフィンクスの体に着いた雨による侵食跡を元に1万年以上前に作られていたと主張しました。現存のエジプト文明よりもはるか昔から人類の超古代文明はあったと主張したのです。当時はテレビ番組などでも話題にはなったものの、学問的には認められず、馬鹿にされていた面が大きかったと言えます。しかし、このトルコのアナトリア高原のギョベク・テベ遺跡の発見は、彼の研究をもう一度見直してもいいのではないかと考えさせてくれるものです。
古代の4大文明という常識に囚われてきた古代史学会、考古学者は反省のときを迎えています。
中南米にはインカ、マヤよりも古い古代文明があった
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中南米には、4大古代文明とは違った形の古代遺跡があります。すなわち、4大文明のように文字を持たないのです。エジプト文明ではヒエログリフという文字があり、ほぼ解明されています。チグリス・ユーフラテス文明では楔形文字、黄河文明では漢字があり、インダス文明ではインダス文字がありました。それらは、最初は象形文字だったのです。現在ではインダス文字以外はほぼ解読されています。文字は、言葉を伝え、文明の文化度を示すものと位置付けられているのです。
しかし、スペインが中南米を侵略した当時は、インカやアステカなどは文字を持っていませんでした。インカ帝国の前にあったクスコ大国でもなかったようです。それでは、中南米の高度な文明や文化、技術は何によって伝えられたのでしょう。彼らは、文字の代わりに縄の結び目(キープ)を利用して情報を記録したと言われており、現代でもそれを読み取ることのできる人はいません。