その他の国の歴史

新しい古代遺跡とは?古代文明の常識を変える?

アメリカ大陸の文明を形成した人々は?

南北アメリカ大陸の原住民は、インディアン、インディオなどです。彼らは、約1万2千年前に氷河期が終わり、わずかに残った陸沿いにベーリング海峡を歩いて渡ったシベリアなどにいたモンゴロイド(黄色人種)だといわれています。彼らは、南北に長いアメリカ大陸を歩いて北上していき、北中南米でそれぞれの土地で文明を育んでいったのです。

しかし、南米の古代巨石構造物の絵には明らかに黒人が描かれています。南米に黒人が入ったのは、スペインが16世紀に侵略した後でした。彼らが持ち込んだ疫病に対する免疫が原住民になかったために、病死で原住民が減少していったのです。そのため、スペインなどがアフリカの植民地から奴隷として黒人を移動させたのが最初と言われています。

そのため、紀元前に黒人が描かれているということは、アンデス文明前に、別の文明があった可能性があると言えるのです。中南米の古代文明は、紀元前1,500年前のマヤ文明が一番古いと言われています。しかし、メキシコや南米では、現在でも新しい古代遺跡がいくつもの発見されており、その年代はマヤ文明より古い可能性がある遺跡もあるのです。

超古代文明が南米でも存在した可能性はある

まだ、中南米の古代遺跡は発掘が始まって時間が経たないものも多く、今後衛星写真などで新しい古代遺跡が発見される可能性は高いと言えます。

したがって、プレマヤ、プレクスコ、インカなどのさらに時代が遡る遺跡が姿を現す可能性は高いのです。もしかすると、西暦をはるかに超えるモンゴロイドが拡がる前の遺跡が現れるかもしれませんね。

中国の古代文明は黄河流域だけではなかった_長江文明が明らかに

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かつては、中華文明の発祥地は黄河流域で黄河文明と言われていました。しかし、近年では、長江流域にも長江文明と言える黄河文明とは違う文明があったことがわかってきており、黄河文明よりも古い可能性もあるのです。黄河文明は、穀物栽培や羊などの遊牧から発生したと言われています。しかし、長江文明は稲作文明から発生したもので、明らかにその発生源は違っているのです。

長江文明はいくつもの都市国家があったと言われています。しかし、それぞれに水田稲作技法は共有していました。浙江省で発見された河姆渡遺跡が最初で、紀元前6,000年から5,000年前と推定され、大量の稻モミなど稲作跡や高床式の住居跡も見つかっています。その後も、黄河文明と同時期の遺跡と言われる良渚遺跡、三星堆遺跡などが見つかっているのです。これらの遺跡から発見された遺物には独自の青銅器文化が発達していたことを示すものが多くありました。

長江文明の衰退はなぜ起こった?

これらの遺跡は、長い長江の流域に点在しており、とくに中流域から下流域における文明は最盛期には黄河文明に劣らないものでした。しかし、紀元前1,000年前頃に起きた気候の寒冷化が生じたのです。それによって、それまで黄河流域にいた中華民族である穀物栽培・遊牧民族が南下したことにより、長江文明は駆逐されたり、黄河文明に飲み込まれたりたしました。

朝鮮半島や日本列島に移住して、日本の縄文時代を終わらせ、弥生文化をもたらしたのも、この長江文明の中にいた倭族と言われています。長江文明の人々は、日本や朝鮮半島だけでなく、台湾や長江の上流の雲南地方に逃れたと言われているのです。雲南地方では日本の古代の風習と似た習慣なども残り、鳥居の原形と言われるものもあります。台湾の原住民も同様です。

したがって、現在の日本人の血液にはこの長江文明を形成した人たちの血が流れていると言えるでしょう。

2万年前まで遡ると言われる古代文明インドネシアのグヌンバダン遺跡

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最近明らかになったインドネシアのグヌンバダン巨石遺跡は、ピラミッドであり、トルコのギョベク・テベ遺跡よりさらに古い2万3千年前と判明して、世界を驚かせています。この遺跡はインドネシアの首都ジャカルタの南80キロのところにあり、以前は構築物ではなく、単純な小山と思われていました。したがって、グヌンバダンはインドネシア語で「草の生えた山」という意味だったのです。

しかし、2011年に考古学者の調査団が結成されて、翌年から本格的な調査がおこなわれました。その結果は驚くべきものだったのです。少なくとも15mの深さまでは人工的な構造物があり、さらにその下には巨大な部屋があることが判明しました。その広さは、最大で25ヘクタールといわれ、同じジャワ島にあるポロブドゥール仏教遺跡の16倍もの広さがあることがわかったのです。

具体的な発掘成果は驚くべきものだった

さらに翌年からの調査では、人工構造物であることが確認されるとともに、その材料になった玄武岩は数km離れた石切り場から運ばれていました。さらに、それらは現代でいうセメントで接着されていたのです。そしてそのセメントを炭素年代法で調べたところ、何と1万3千年~2万3千年前と判明したのでした。まだ、氷河期も終わっていない時代に現代のセメント技術があり、しかも数トンという巨石を切り出し、何kmもの距離を移動させて積み上げていたのです。それは明らかにピラミッドでした。

しかも、見つかったのはわずかこの10年以内のことなのです。さらにジャワ島にはそれ以外にも玄武岩の構造物遺跡としてナン・マドール遺跡もあります。この遺跡も詳しい調査が終わっておらず、グヌンバダンよりも古い可能性もあるのです。かつて、氷河期までは、東南アジアにはスンダランドという大陸がありました。しかし、氷河期が終わって海面が120mも上昇して現在の形になったと言われています。当時はオーストラリアとも陸続きであったと言われているのです。このスンダランドに古代文明が存在した可能性が浮かび上がっています

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