イエズス会の結成
スペイン北東部、現在のバスク地方にあったナバラ王国の貴族の家に生まれたザビエルは、盟友となるイグナチウス=ロヨラと出会います。ロヨラとザビエルは教皇を絶対とするイエズス会を結成しました。イエズス会は、宗教改革に対抗してカトリック側が行っていた対抗宗教改革を推進する団体となります。
ロヨラとの出会い
ザビエルが生まれたころ、祖国であるナバラ王国はフランスとスペインの領土争いにまきこまれてしまいました。1515年、ナバラ王国はスペインに併合されます。ザビエルの父はこの混乱の渦中で亡くなりました。
1525年、19歳になったザビエルはパリ大学に留学します。大学留学中、ザビエルは同じバスク地方出身の若者であるイグナチウス=ロヨラと出会いました。
ロヨラは名門貴族の家に生まれ騎士となっていた人物です。ロヨラは1521年に戦いで負傷。治療中に読んだ聖人伝説の本に感化され宗教心に目覚めます。
1534年、意気投合したザビエルとロヨラはパリのモンマルトルの丘にある聖堂でローマ教皇への献身とキリスト教の伝道を誓いました。ロヨラとザビエルらの誓いを「モンマルトルの誓い」といいます。
誓いの内容は「今後、7人はおなじグループとして活動し、イェルサレムでの布教と奉仕を行う。それができないときは教皇の命令に従いどこにでも赴く」というものでした。
イエズス会の結成
モンマルトルの誓いにもとづき、1534年に設立されたのがイエズス会でした。日本語では耶蘇会、あるいはジェズイット教団とよばれます。1540年、ローマ教皇パウルス3世はイエズス会を公認しました。イエズス会の初代総長はロヨラ。他の6名はロヨラを支えて布教活動をおこないます。
イエズス会の主な活動は3つありました。一つ目は高等教育を行うこと。イエズス会はヨーロッパ各地に学校を建てます。
二つ目は非キリスト教徒への伝道活動。当時、スペインやポルトガルは海外に進出し植民地を広げていました。ヨーロッパの外には多くの非キリスト教徒がいます。イエズス会は非キリスト教徒への布教活動を行いました。
三つ目は宗教改革に対する防波堤の役割をもつことです。イエズス会はローマ教皇の公認を得て、世界各地で積極的に活動する団体となりました。
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対抗宗教改革
1517年、ドイツのルターによってはじめられた宗教改革はキリスト教世界に大きな波紋を投げかけました。ドイツではルターの説を支持するプロテスタントがローマ教皇を支持するカトリックの皇帝カール5世と激しく対立します。
カール5世は教皇パウルス3世に公会議(宗教会議)の開催を要請しました。これを受けて、1543年から開催されたのがトリエント公会議です。18年にわたって断続的に開かれたトリエント公会議では、ローマ教皇がキリスト教会のトップであるとする教皇の至上権を確認しました。
同時に、ローマ=カトリック内部で「対抗宗教改革」とよばれる改革運動が行われます。イエズス会は対抗宗教改革の先頭に立って活動しました。イエズス会はヨーロッパではプロテスタントの拡大を防ぎ、アジアや南北アメリカではローマ教皇を頂点とするカトリックのキリスト教を伝道することで宗教改革に対抗しようとします。
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ザビエルの東洋布教
イエズス会は、ポルトガル王ジョアン3世の求めに応じてインドのゴアに宣教師を派遣することにしました。この時、ゴアに向かったのがモンマルトルの誓いの一員であるザビエルです。ザビエルはインドだけではなく、日本でのキリスト教伝道を目指しました。日本で布教の土台を築いたザビエルはインドに戻り、中国布教へと乗り出します。しかし、ザビエルは中国布教を果たすことなく1552年に亡くなりました。
東洋への旅立ち
16世紀前半、ポルトガルは最盛期を迎えていました。1495年に即位したマヌエル1世の時代、海外貿易で莫大な富を蓄えます。この間、ポルトガルはインド航路を開拓しアラビア海での制海権を握りました。
1510年にインドのゴアを、1511年にマラッカ王国を占領し東南アジアから東アジアへの道を切り開きます。ポルトガルの発展は次のジョアン3世の時代も続きました。
ジョアン3世はローマ教皇を支持し、異端審問所をポルトガルに設置するなど対抗宗教改革に協力的です。このころ、ジョアン3世はロヨラが新しい修道会であるイエズス会を創設したことを知りました。
ジョアン3世はイエズス会が非キリスト教徒への伝道活動を行うことを聞き、イエズス会にポルトガル植民地にイエズス会士を派遣してほしいと依頼します。ロヨラが依頼にこたえて派遣したのがザビエルでした。