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なぜ鯉のぼりを飾るの?童謡「こいのぼり」の歌詞の意味は?鯉のぼりの謎をわかりやすく解説!

毎年5月5日ともなると日本全国で「鯉のぼり」が泳ぐ姿が見受けられますよね。立派なお宅なら大きくて勇壮な鯉の姿が拝めますし、都会ならマンションのベランダにかわいい鯉のぼりが立ったりもします。そして「こどもの日」によく歌われているのが童謡「こいのぼり」です。日本人であれば知らない人がいないくらい有名な童謡で、たぶん誰でも口ずさめるのではないでしょうか。そんな童謡「こいのぼり」に込められた歌詞の意味をちょっと探ってみましょう。合わせて日本の鯉のぼりに関して、ちょっとした雑学もご紹介できたらと思います。

1.日本の風習「鯉のぼり」に込められた意味とは?

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端午の節句に合わせて上げられる「鯉のぼり」について、まずどのような意味があるのでしょうか?ご紹介していきましょう。

1-1.我が子の健やかな発育と安全を祈願したもの

たまに「登竜門(とうりゅうもん)」という言葉を耳にしたことがありませんか?よく知られている意味なら、「立身出世や成功のための関門」ということになりますが、本来はもっと違った意味なのです。

中国の故事で「鯉が門のある滝を登ると天に昇って竜になる」というものがあり、やがてそれが登竜門と呼ばれるようになり、「男児の成長と出世を願う」意味となりました。

また鯉はもともと、清流だけでなく沼や池といった少々環境の悪い場所でも暮らせるもの。そういったことから人間の子供と鯉をなぞらえて、どのような逆境にあっても強くたくましく育ってほしいという祈念が込められているのです。

1-2.なぜ鯉をたくさん上げるの?

鯉のぼりが「男の子の成長と安全を願う」風習だというのはわかりました。しかし現在見られる鯉のぼりの多くは、色もカラフルで大きな真鯉と、小さな緋鯉が上げられていますよね。鯉一匹分で足りるんじゃないの?という疑問が湧いてきます。

実は元々、一匹もしくは多くても二匹の鯉しか上げられていなかったそうです。それが昭和30年代以降に三~五匹程の鯉が上げられるようになりました。それはなぜでしょうか。

実はこの時期、戦後のベビーブームと見事に符合します。日本中にたくさんの男の子が生まれる過程の中で、核家族化が徐々に進みつつありました。「男の子の鯉だけじゃなく、子供を見守るパパやママの鯉も上げたらどうか」というムーブメントが起こったわけですね。

ですから現在見られるこいのぼりは、日本の核家族の姿を表しているといえるでしょう。

1-3.ムーブメントに便乗した業界

日本の核家族化もさることながら、鯉のぼりを製造しているメーカーや販売店も、確実に売り上げアップを見込むのは当然のことですよね。

小さくて上げられる数も少ない鯉のぼりより、色がカラフルで青空に映える鯉のぼりの方が売れるのはもちろんです。そこで黒だけではなく、赤や青、緑などの派手な鯉のぼりが商品化されたのでした。

さらに新素材がこいのぼりに用いられ始めたことが大きな要因でした。従来の布素材にはなかったナイロンやポリエステルなどの利点は、汚れや破損に強く、着色もしやすいことからバリエーションが豊富となり、さらに低価格で販売できるようになったことが一般化した大きな理由です。

1-4.吹き流しや風車の意味とは?

鯉のぼりセットに含まれているものは、こいのぼり本体以外に風車や吹き流しなどがありますよね。あれはどのような意味があるのでしょうか?

まず竿の先端に付いている風車ですが、正確には矢車(やぐるま)といいます。よく見ると矢が内側に刺さっているかのような形になっていますね。その矢は「幸運を呼び込む矢」「災いを跳ねのける矢」という意味があり、いわゆる破魔矢と同じ扱いになっているのです。

また吹き流しは古代中国の「五行説」に由来しており、仏教や神道でとても重要な意味を持つものとされていますね。そのため五色の吹流しは、男児の無事な成長を願って「魔除け」の意味で飾られていたそうです。

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2.鯉のぼりの風習はいつから?どのようにして生まれた?

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童謡になり、日本人にとってたいへん親しみのある「鯉のぼり」ですが、この風習は果たしていつから行われていたのでしょうか?その起源を探ってみたいと思います。

2-1.そのルーツは古代中国にあり

5月5日は「端午の節句」とも呼ばれますが、その起源は古代中国にあります。人々の信望を集め誠実な政治を行うも失脚してしまった屈原(くつげん)という政治家の供養のために行われた祭りが始まりだったのです。

屈原が亡くなってもなお、彼の存在は尊敬を集め、それが次第に国の安泰を願う祭礼となりました。

奈良時代になり、遣唐使などの交流によって端午の節句の風習が日本にも入ってきました。当時の日本ではちょうど季節変わりする5月のことなので、病気や災厄を除けるための行事が行われており、厄除けのために菖蒲をもちいることから「菖蒲の節句」とも呼ばれていたのです。

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