小説・童話あらすじ

なぜ鯉のぼりを飾るの?童謡「こいのぼり」の歌詞の意味は?鯉のぼりの謎をわかりやすく解説!

4-3.著作権の利権を得ようとする音楽団体

戦後しばらく経った昭和45年に著作権法が改正され、新聞記者だった宮子の息子が「作詞者が実は母」だということを思い出し、これを記事にしたことで世間の注目を集めます。

おりしも、宮子の作った唱歌の著作料を財源としていた日本教育音楽協会では、昭和56年に著作権が切れて年間400万円もの財源がなくなることを恐れ、元会長である小出浩平が作詞者であると日本著作権協会にウソの申告を行いました。

作詞者が不明のままならいざ知らず、著作料の利権を得るために公的団体が公然とウソをついたわけです。

4-4.「やっぱりウソはいけないこと」と裁判を起こす

その事実を知った宮子は、「やっぱりウソはいけないこと」と思い立ち、小出浩平と著作権協会を相手取り、東京地裁へ提訴したのです。

【「チューリップ」「コヒノボリ」等著作権確認・使用料請求事件】と呼ばれたこの裁判は、結果的に宮子側の勝訴に終わり、小出浩平と著作権協会に対して390万円の損害賠償請求が認められることになりました。確実な証拠が無いにもかかわらず、裁判官の心証によって判決が確定した稀有な裁判だといえるでしょう。

宮子は平成9年に亡くなりますが、存命中に作詞者として認められたことは幸運だったといえるでしょう。

5.童謡「こいのぼり」より以前からあった「鯉のぼりの童謡」

Koinobori in the street.jpg
不明 – “Letters from Japan” by Mrs. Hugh Fraser, New York, The Macmillan company; London, Macmillan & co., ltd.. 1904, パブリック・ドメイン, リンクによる

昭和6年に近藤宮子が「こいのぼり」を発表する以前から、実は鯉のぼりに関する童謡が存在していました。それだけ鯉のぼりは日本人にとって親密だったということでしょう。

5-1.滝廉太郎の「鯉幟」

まず最も古いもので、「荒城の月」や「箱根八里」を作曲した滝廉太郎が、明治33年前後に東くめとのコンビで作った幼稚園唱歌の中に「鯉幟」という童謡があります。

 

大きな黒い 親鯉に
小さな赤い 鯉の子が
いくつもついて 昇って行く
海の様な 大空に

 

「大きな黒い親鯉」と「小さな赤い鯉の子」という印象的な歌詞は、先ほどの近藤宮子作詞「こいのぼり」の中に出てきた「大きいまごいはお父さん」「小さいひごいは子供たち」という言葉と非常によく似ていますよね。

おそらく宮子は、この滝廉太郎版「鯉幟」の印象をなぞらえて作詞したのでしょう。

 

5-2.弘田龍太郎の「鯉のぼり」

そして大正時代初期に弘田龍太郎作曲の「鯉のぼり」という唱歌が文部省より発表されました。

 

甍の波と雲の波
重なる波の中空を
橘かおる朝風に
高く泳ぐや鯉のぼり

 

童謡にしてはいささか表現が難しく、子供が簡単に歌うにしてはハードルが高そうな印象がありますよね。ですから近藤宮子の「こいのぼり」が発表されてのちは、いつしか歌われなくなってしまいました。

作者の思いが伝わる童謡たち

image by PIXTA / 41507739

童謡とは親から子へ。そして子から孫へと受け継がれていくもの。そう考えると童謡は、日本人の普遍的な心が込められていると感じます。わかりやすい歌詞の中から浮かび上がってくる情景に、人々の思いを感じ、そして歴史を感じること。いつまでもそんな童謡を大切にしたいですし、次の世代にも継いでいってほしいと願わずにはいられません。

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明石則実