なぜ鯉のぼりを飾るの?童謡「こいのぼり」の歌詞の意味は?鯉のぼりの謎をわかりやすく解説!
2-2.武士の世になってから登場した鯉のぼり
そもそも現在の中国には鯉のぼりの習慣はありません。あくまで日本の歴史の中で独自に発達してきた文化だったのですね。
時代は移って武士の時代、菖蒲は「尚武」となぞらえることもできるため、それがいつしか男子の健康と武運長久を願う行事へと移り変わっていきました。そして次第に武家のならわしとして定着していったのです。
室町時代にはすでに鯉のぼりの原型が出来上がっていて、武士たちは端午の節句に細長い旗指物や吹き流しを戸外に立て、それを天の神が降りてくる目印としたとのこと。
安土桃山期の京都を描いた「洛中洛外図屏風」には、端午の節句を祝う人々の姿が描かれていますね。
2-3.江戸時代になって町民に親しまれた鯉のぼり
江戸時代になり、社会が安定してくると庶民たちの間にも「子供の成長」を願うという風習が定着しました。
もとより徳川幕府では5月5日を特別な日として定め、大名や旗本たちは江戸城に参府して将軍に祝いを述べるという習慣があったため、庶民たちもそれにならって端午の節句をお祝いしたのです。
富裕な商人たちの間では、旗指物などの代わりに勇壮な武者の絵柄を描いた武者のぼりを掲げ、やがてそれが豪華な鯉を模した吹き流しとして変化し、天高く掲げることが流行しました。
「鯉の滝登り」と謳われるように、鯉は出世や成長の象徴であり、おめでたい鯉を飾ることはゆくゆくは家の繁栄をもたらすもの。と考えられるようになったのです。
2-4.高価な鯉のぼりの代用品とは?
江戸時代中期にはまだ錦鯉が登場していていなかったため、鯉の吹き流しは地味な「まごい」一匹だけだったようですね。
やがて1800年代に入ると越後(現在の新潟県)などで錦鯉の育成が盛んになり、流通が一般的になってくると、地味だった鯉のぼりにも鮮やかな色彩のものが登場し、現在に至っています。
とはいえ彩色豊かな鯉のぼりは非常に高価で、庶民が手にすることはできません。そこで比較的安価な紙を使って鯉のぼりを作ることが流行しました。サイズは大きくなりませんが、器用に武者人形や兜なども作っていたようです。
3.童謡「こいのぼり」にはどんな意味があるの?
ここからは多くの人に親しまれている童謡「こいのぼり」について、どんな歌詞で、どんな意味があって、またどのように作られたのか?ちょっと細かく解説していきたいと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、以下が「こいのぼり」の歌詞です。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
3-1.「こいのぼり」歌詞の意味は?
この歌詞を読むと、おおよその意味がわかると思います。5月の青空のもと、風をはらんで勇壮に泳ぐ大きな鯉と小さな鯉の姿が思い浮かびますね。
でも、お父さんは「まごい」、子供たちは「ひごい」とありますが、この「まごい」と「ひごい」っていったい何なのでしょう?
「まごい」は黒い真鯉のことを指し、実は日本にはもともと黒い鯉しかいませんでした。いわゆる野鯉(のごい)のことです。真鯉は実に食欲旺盛で、他の魚の縄張りも脅かしてしまうくらいの強い存在。そんな強い魚が「頼りがいのあるお父さん」というイメージにぴったりだったのでしょう。
そして「ひごい」は緋鯉のこと。実は真鯉からの突然変異で体色が赤や赤黄色になった鯉のことです。観賞用の錦鯉(にしきごい)は、この緋鯉を改良した品種だといわれていますね。愛玩用の鯉なので、大切に育ててあげれば長生きするため、子供に見立てているのでしょう。