独裁官カエサルの政治
カエサルはローマに帰還すると、内乱の勝利者としての威厳と圧倒的な軍事力を背景として10年間の独裁官に就任します。並ぶもののない権力を手に入れたカエサルは次々と改革を実行しました。
ローも本国の外に多数の植民市を建設すること、穀物の無料配給を削減すること、暦を改訂しユリウス暦を制定すること、ローマ市民権の拡大、属州民へのローマ市民権の付与など元老院体制下で滞っていた政策を矢継ぎ早に実行に移したのです。
しかし、古代ローマではどんなに優れた人物でも「一市民」。王となることは忌み嫌われていました。これは、共和政ができて以来、一人に権力が集中する王政が市民に嫌われていたからだといいます。権力集中したカエサルに「王になろうとしている」という不穏なうわさが流れました。カエサルは否定しますが、日増しに反感が高まります。
カエサル暗殺
紀元前44年、カエサルはついに終身独裁官の地位につきました。その年の3月15日、カエサルは元老院での会議に出席します。カエサルは護民官の職にも就いていたため、「いかなるものもカエサルを傷つけてはならない」という護民官特権も持っていました。元老院もその特権を守ることを誓約したため、カエサルは護衛隊を解散。いわば、丸腰の状態で元老院の議事堂に入ります。
元老院の開会に先立ち、カエサルが議場に入ると待ち構えていた暗殺者たちがカエサルを滅多刺しにしました。暗殺者の中に見知った顔を見たカエサルは「ブルトゥス、お前もか」と叫んだといいます。
ブルトゥスはカエサル最愛の愛人、セルヴィリアの子です。殺されることよりも、ブルトゥスに刺されたことの方が衝撃だったのかもしれませんね。カエサルの遺体には23もの刺し傷があったとされます。
カエサルが定めた帝政への転換は暗殺によっても止められなかった
カエサルの死は、再びローマを内乱の時代へと引き戻しました。カエサルの武将アントニウスと養子のオクタヴィアヌスはカエサル暗殺犯たちの軍に勝利し、第二回三頭政治を実行。その後のアントニヌスとの戦いを制したオクタヴィアヌスはアウグスツスと称し帝政ローマの道を開くのです。カエサルの構想の多くはアウグスツスによって実現されました。
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