中国の歴史

面白人物ばかりな中国の歴代皇帝7選をご紹介&解説

5.太宗(李世民)

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次に解説していくのは唐第二代皇帝である太宗です。この人は光武帝・そしてのちに紹介していく康熙帝と並ぶ中国史上最大の名君に数えられています。

次はそんな太宗がどのような政治をしていったのかを見ていきましょう。

玄武門の変で皇帝に

太宗は唐の創始者である李淵の次男として598年に生まれました。皇帝になる前は隋の武将として功績を挙げていきました。

そして父が唐を建国すると秦王として派遣されることとなります。

626年、長安の宮城北門の玄武門で李世民は自分側についてくれた武将を率いて兄と弟を襲撃。李世民は自ら兄と弟を殺して皇太子となりました。

これによって後継者争いに勝利した李世民。李世民は父から譲位を受けて第2代皇帝へと即位。皇帝への道がここから始まったのでした。

貞観の治による唐の繁栄

李世民は唐の皇帝になった後、国内にまだ残っていた反発勢力を次々に撃破。父が成し遂げられなかった唐の支配を確固たるものとします。

さらに李世民は秦や晋や隋みたいに短命で終わる王朝にすることをなんとかして避けるために貞観律令や三省六部制という官僚の制度を整えて安定した政治を行えるように尽力しました。

さらに武力の方も李世民は優れており、当時唐北部にいた国突厥という国を630年に撃破。この地域を唐の領土として唐を首都長安中心に世界帝国として育て上げていきます。

こうして唐を武力と知力で治めた太宗は名君として崇められるようになったのです。

世界大国となった唐

太宗が治めていた時代の唐は自由に海外に行けることができないことなっていました。しかし、太宗の時代となるとアジアの国中心に冊封という形で各地の国から使節がやってくるようになりました。日本も遣唐使として唐に使節を派遣していますしね。

あと、もう一つこの時期に発達したことに仏教がありました。その仏教を厚く信仰していたのが唐の僧侶三蔵法師だったのです。

三蔵法師といえば西遊記の主人公としても有名ですね。

三蔵法師は当時唐が外国への渡航を禁止されていたのをわかって唐の役人にバレないように逃げながら仏教の聖地天竺(インド)へと向かっていきました。そして帰った後三蔵法師は唐の仏教の発展に努めていくようになるのですが、これを保護したのが唐の太宗だったのでした。

6.洪武帝【すごい成り上がりをした皇帝】

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次に紹介するのは洪武帝。光武帝ならさっき紹介しましたが、こちらは後漢ではなく明の創始者となった皇帝でした。

しかし、この洪武帝という皇帝は日本の秀吉もびっくりなほどの華麗な成り上がりストーリーを送った皇帝でもあったのです。

中国の貧乏農民として

洪武帝が生まれたのは1328年。安微省の貧しい農民の末っ子として生まれました。名前は朱元璋です。ちなみに、農民から皇帝となった人は中国では漢の劉邦と朱元璋がいるのですが、ここまで貧乏な家庭から皇帝となったのは朱元璋しかいません。

朱元璋は農民として貧乏な生活を送った後、乞食同然の生活を送りながらその場しのぎで生き延びていきましたが、この頃中国で巻き起こっていた白蓮教徒の反乱に参加するとその才能を見込まれて武将として取り立ててもらえました。

これだけでも凄いんですが、ここから朱元璋は天性の才能を見せ始め白蓮教徒の混乱に乗じて当時中国を治めていた元の勢力を次々と撃破。1368年には南京にて明の建国を宣言して朱元璋は洪武帝として皇帝に即位しました。

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