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最近問題となっている「一国二制度」とは?香港の問題についても解説!

現在度々ニュースにも上がっている香港のデモ問題。一見すると単なる政治的な要求だけに見えますが、実はその裏には香港独自のシステムや制度が関連しているのです。 今回はそんな香港のデモについて一国二制度やその原因についてみていきたいと思います。

そもそも一国二制度とは?

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一国二制度とは中華人民共和国の政治制度であり、何らかの理由で中国の領土からは分離した領域に設置される制度です。

中国は共産主義という政治体制を取っており、元々は領域を併合した時の混乱を避けるために主権国家の枠組みの中において一定の自治や国際参加を可能とする構想でしたが、今ではマカオと香港などで採用されています。

一国二制度が生まれるまで

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今では香港で問題になっている一国二制度。しかし、この制度はもともと台湾の併合を行うために構想された妥協案だったのです。

まずは、一国二制度が生まれるまでの歴史について見ていきましょう。

中国と台湾の分裂

第二次世界大戦が終わり、なんとか勝利を収めた中国は日本領であった台湾を取り戻し、中華民国による政治が行われていくようになります。

しかし、台湾は日本の影響が色濃く残っており、その状態でいきなり併合することは混乱や反乱を招くことが想像できるために台湾ではある程度の自治権を認める特別行政区として設立されていました。

しかし、第二次世界大戦直後に中国共産党と中国国民党が対立し、国共内戦が勃発。勢いがある中国共産党に国民党は太刀打ちできず、リーダーであった蒋介石は台湾に逃亡。

ここを本拠地として再び大陸に戻ろうと画策していくようになります。

その一方で大陸を獲得した中国共産党は毛沢東をリーダーとして中華人民共和国が成立。

しかし、台湾はあくまでも中国の領地であり、この台湾の処遇について考えなければならないようになりました。

一国二制度の提案

台湾の処遇については毛沢東の時代にはそもそも台湾に攻め入って解放する武力解決が主力でした。しかし、毛沢東がなくなり鄧小平が新しく指導者となると1978年に台湾の状態を尊重してある程度の譲歩を見せる三通を発表。

中華民国はこれに応じることはありませんでしたが、これはのちに高度な自治権と軍隊の保有を容認し、経済社会制度を変えないと述べた一国二制度の提案へと変わっていくことになりました。

一国二制度と香港

台湾における一国二制度はあくまでも構想段階で終わってしまいましたが、この制度が再び登場するのが1997年に起こった香港返還でした。

元々香港はアヘン戦争における南京条約によってイギリスの領土として認められるそこから約100年間ほど統治が続けられていき、香港は経済都市として発展を続けていました。

しかし、中華人民共和国は社会主義と呼ばれる政治体制を取っており、あくまでも経済を管理するのは政府という形を取っていたのです。

これに困るのが香港の人々。香港はイギリスの支配下で資本主義、民主主義が発達しており、今更社会主義の国に併合されるのは耐えられないことでもあったのでした。

そこで使われたのが一国二制度の方針。

香港では1997年の返還の時に中国は『50年間は行政や立法、司法の独自性を保つ』と合意し、この合意によって、香港には『香港特別行政区基本法』が生まれました。

その結果2047年までは中国の制度は導入されずにあくまでも香港を特別行政区としてみる方式が誕生したのです。

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